頭陀袋160 令和7年10月号
経本とは 確か小学五年の時だったと記憶しておりますが、そのころは戦後の復旧の時代で各お寺さんでも梵鐘の再鋳、本堂の屋根葺き替えなどの大法要が相次いで行われました。ある時、東山の大きなお寺での法要の招待があり、和尚が所用で...
頭陀袋2025経本とは 確か小学五年の時だったと記憶しておりますが、そのころは戦後の復旧の時代で各お寺さんでも梵鐘の再鋳、本堂の屋根葺き替えなどの大法要が相次いで行われました。ある時、東山の大きなお寺での法要の招待があり、和尚が所用で...
頭陀袋2025たくさんの人に会う 私は中学卒業と同時に、高山市内の印刷工場に新米の職工として採用していただきました。自分は次男坊であるし、何か職をつけて生きていかねばならんとその頃は思っていたのですが、そのうち、高校夜間部の後輩のお声...
頭陀袋2025おふくろのおかげで ご近所のおばさんが「この間の頭陀袋の原稿、よかったよ。また続きを書いてよ」と、ありがたいお言葉をくださいました。しかし、次々と書けるほどの文才があるわけでもなく、だいたい勉強不足です。どうしたものかと...
頭陀袋2025躾の重み(三つ子の魂) しばらくぶりに蔵書の整理をしておりましたら懐かしい本(いっしょうけんめい生きましょう)が出てきました。この本は昔、文部大臣をされた永井道雄さんのお母上が晩年執筆された、一日一言をまとめ講談社から発...
頭陀袋2025耳を洗う 私たちは毎日朝起きると顏を洗い口を漱すすぎます。風呂へ入って体を洗う。しかし耳を洗うということについて古田紹欽博士はこんなことを書いておられます。中国の堯帝ぎょうていが許由きょゆうに、帝位を譲ろうと申し出た。し...
頭陀袋2025心のありか (続) さて先号はお母さんにはずいぶんお世話になったなあ。ありがたいなあ。このありがたいなあ。こそあなたの心のありかです。ということを伝えました。しかし、それだけでは心の説明にはなりません。人間は困ったもので...
頭陀袋2025自分の心とは (続き) さて頭陀袋153号に続き、心の在り処を探してみましょう。お母さんについて思い起こしました。 あの時こんなことがあったなあ。こんなお世話になったなあ。ありがたいなあ。ここです。お世話になったなあ。は...
頭陀袋2025自分の心とは 多くのお坊さんたちが、自分の心を捉えるためにはどうするか?そもそもどこに心が存在するかなど永い間、模索し、修行し続けてきました。一体、どこに心があるのか?(胸の辺り?)そこは肺でしょう。その隣は心臓。(お腹...
頭陀袋2025心とは ~法句経からの解釈~ 釈尊は「人の心は陸に釣り上げた魚のようにピチピチとして跳ね、あがき、少しもじっとしていない」と説き、心は捉えることが難しく、落ち着きがなくてしたい放題に暴れる厄介者と考えました。 日本人も心...
頭陀袋2025お寺の鐘 夕焼け小焼けで 日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴るお手々つないで みな帰ろ からすと一緒に帰りましょ♪まだ学校に入る前の子供の頃に覚えた唱歌。昔は高山でも明け六つ、暮れ六つ、というように時を告げる鐘が鳴りました。近...