頭陀袋135 令和5年9月号
黄檗僧 了翁道覚りょうおう どうかく禅師 について 黄檗禅を伝えた隠元禅師は、中国黄檗山におられたころから沢山のお弟子を育てられましたが、日本へ渡られた後も素晴らしいお弟子様を輩出されました。中でも鉄眼和尚の一切経開版は...
黄檗僧 了翁道覚りょうおう どうかく禅師 について 黄檗禅を伝えた隠元禅師は、中国黄檗山におられたころから沢山のお弟子を育てられましたが、日本へ渡られた後も素晴らしいお弟子様を輩出されました。中でも鉄眼和尚の一切経開版は...
お盆のいわれ お釈迦様の十大弟子の一人、目連尊者は六神通を得て、神通第一と言われておりました。ある時、目連は亡くなった母親がどうしているかと、天眼通力を使って調べてみると、なんと餓鬼界に落ちて苦しんでいるのがわかりました...
お施餓鬼の由来について お釈迦様に、いつもお仕えしている阿難尊者(アーナンダ)は毎日の生活の中でお釈迦様の説法を一番聞くことができたので「多聞第一」といわれておりました。救抜焔口陀羅尼経というお経の中に阿難尊者が遭遇した...
かんのんさま(続) 高山は曹洞宗の古刹、雲龍寺の観音さまを訪ねてまいりました。このお寺は飛騨三十三観音第三番として親しまれています。 縁起によりますと、鎌倉時代曹洞宗を日本に伝えた道元禅師の教えを広く世に広め、曹洞宗の基...
仏師高田慈眼先生をたずねて 頭陀袋の観音様を訪ねて市内、郡部を訪れているうちに観音様を彫っている人とはどんな人なのだろう?という思いがずっと頭の隅にあり、今回、高山に在住の仏師、高田慈眼先生にお話を伺うことができました。...
かんのんさま(続) 頭陀袋も、知らんうちにもう、130号やな。と言われて、そういえば高山に近いお寺さんにこのところご迷惑な取材をお願いばかりしているな。と反省しています。しかし、これでおしまいというわけにはまいりません。...
かんのんさま(続) 飛騨三十三観音第二番にあたる相応院の観音様を訪ねてまいりました。 相応院 このお寺は、秋の高山祭、桜山八幡宮の別当、長久寺が明治の廃仏政策により廃寺になったのを、時の神職と長久寺住職を兼務していた桜山...
かんのんさま(続) 「頭陀袋」はこのところ、飛騨のかんのんさまの世界をご案内してまいりました。あれこれしているうちにもう、年末年始を迎える時期となりました。この時期は、ふと我に返る時期とも言えます。年末(これは反省の時期...
かんのんさま(続) 今回は恩林寺、中山かんのん様についてお話いたしましょう。 華岳山 恩林寺 明治政府の発した廃仏毀釈は我が国の仏教界には大変な痛手でありました。神社の別当寺院や中小の寺院は、この時たくさん姿を消すことに...
かんのんさま(続) 飛騨高山を治めた金森家の菩提寺として知られているのは初代、長近公の長子長則が京都で戦死したのでその菩提を弔うために位牌所とした雲龍寺、長近公の塔所とした素玄寺、二代目可重公の菩提を弔うために子息、重頼...