お守りは自分の分身
お寺にお詣り下さる方から時々聞かれます。
「和尚さん、どこのお守りが一番ご利益がありますか?」
どうやらお守りというものを誤解しているようです。
「お守りというのは、ご本尊様の分身。つまり仏様を一年の間、自分の手元に預かる事。あなたはご本尊様を守らなければなりません。少々乱暴に扱ってもお守りを持っているだけで大丈夫。その考えでは、仏様を危険にさらしている事と同様です。そうしない為に少し行動を自制する。こういった考えでお守りをお持ちになるのがよいでしょう。」
と私はお答えしました。
坐禅について
また、坐禅についても聞かれることがあります。
禅の修行において最も大切なのが坐禅です。
禅は坐禅に始まり坐禅に終わる。
それが禅の修行であるわけです。
禅は「静かに考える」という意味を持つものです。
考えるという行為は静かに座ることから生まれます。
人間は体を動かしながら深い考えを得ようとしてもできません。
歩きながら考えても現実的なことばかり。
仕事の段取りや、夕飯の献立だったり、この世の心理とか生きがいというものは動きながら考えることはできません。
坐禅はまず、姿勢を整え、呼吸を整え、心を整える。
この三つが整って初めて坐禅となります。
物事を頭にためず浮かんで流れるままにして坐禅を組んでみてましょう。
和尚の昭和下岡本を語る
私たち仲間は神社の近くに集まり願生寺橋を渡って学校に向かいます。
毎朝嬉しいことがあります。
向こうから大八車を引いたおじいさんが、ガラガラ音を立てながら歩いてきます。
おじいさんは立派な顎髭を生やした人で五十銭札の板垣退助みたいな感じの人でした。
今日も畑へご出勤です。
こちらが「おようございます。」と声をかけると「おはようござりまする。」と、明治の言葉が返ってくる。なんだかうれしくなり学校行っても気分がよかった。
今でも、盆経にゆくと仏間の額におじいさんの写真が笑っておられる。
もう、七十数年も前の話ですが。
学校の上履きはじろすけ(屋号)の爺様が作られた藁草履をはいた。
当時は靴下なんて履かない。素足のままでした。
施餓鬼法要のご案内
岐阜県寺院が合同で法要を行います。
詳細は改めて後日ご案内いたします。
御参詣頂きますよう、お待ちしております。
- 日時:六月三十日午前十時半
- 会場:恩林寺本堂
- 法話:真聖寺 村瀬正光和尚