頭陀袋137 令和5年11月号

頭陀袋137-鐵眼道光像 宝蔵院蔵

鉄眼禅師を救った 柳の一枝

これは鉄眼禅師が一切経(大蔵経)全巻木版印刷の発願されて全国を勧進行脚をし、江戸からの帰り道での話です。
そんなことも知らない盗人は鉄眼禅師の後ろを追いかけていました。

盗人

この和尚は大金を持っているに違いない。

場所は、木曽川の渡しとしか伝わっておりませんが、盗人はついに和尚の隙を見て体当たりするなり和尚の胸ぐらから大切な寄進のお金を取り上げ、逃げようとしました。
和尚は大切なお金ですから体にしっかり巻き付けておりましたが、あまりにも咄嗟のことで川に転落してしまいました。
和尚は必死でしたが川に放り込まれたのではなす術はありません。
木曽川は名だたる急流ですから、浮きつ沈みつ藻掻いているうちに手に当った柳の一枝を掴んでようやく命拾いをしたのでした。

それから数年後

それから数年の後、日本中を行脚する鉄眼禅師の姿は評判になり、一切経の木版印刷事業も順調に動き出しました。
版木を彫る場所は隠元禅師の後押しもあって黄檗山内の宝蔵院が拠点となりましたが、全国行脚の拠点としては黄檗山は少し不便です。
そこで和尚は難波の地に場所を構える事とし、昔から難波の地にあった薬師院を再興することにしました。浪速の人たちはこぞって協力してくれました。

竹原という商人

さて、この人たちの中に人一倍協力してくれる竹原という商人がいました。
和尚はその商人にお礼を言おうと竹原に会うと、急に竹原の顔色が変わりました。
同時に、和尚も数年前の木曽川のことを思い出したのです。
この竹原こそが大切な勧進のお金を盗んだ盗人だったのです。

鉄眼禅師

お前さんはあの時の…

竹原

鉄眼禅師とは和尚さんのことだったのですか。

二人の間で気まずい時間が流れました。竹原は正直に事の次第を話し始めました。

竹原

私は何をしても失敗ばかりであの時はやけになっていました。
丁度その時お金をたくさん持っていそうな和尚に出会いこの時とばかりに、必死であのようなことをしでかしました。
しかしあのお金を元手に商売を始めましたところ何をやってもうまくいき、儲けたお金を何か為になる事に使いたいと思っていたところ薬師院の再建を知ったのです。
やはり悪いことはできないものです。どうかわたしをお役人に引き渡して下さい。

鉄眼禅師はこの話を聞くうちに気分が爽快になってきました。

鉄眼禅師

そうじゃろう。やはりあのお金には皆さんの真心が詰まっているからな。

鉄眼禅師は竹原を咎めもせず笑って許してあげました。
薬師院の再興は順調に進み、名前を瑞龍寺と改められましたが難波の人たちは親しみを込めて今でも通称「鉄眼寺」と呼んでおります。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。