頭陀袋138 令和5年12月号

茶筅供養呈茶席にて筆者
茶筅供養呈茶席にて筆者

縁もゆかりも

この九月十日、残暑厳しい日の午後、私はかねてからのご縁により飛騨国分寺において茶筅ちゃせん供養の法要に参列させていただき例年のように司会を務めさせて頂きました。
今年は表千家同門会岐阜支部長様はじめ他二名の先生方のご臨席を賜り、一層緊張致しました。
さて、この茶筅供養は今年で56回目との事、昭和44年春の彼岸に私達、林千代子先生の社中が国分寺に集まりご本堂で、先代住職、哲雄和尚様導師のもとに始めたのがきっかけであります。
法要後の反省会で「ぜひ、これを機会に茶筅塚を建立しよう。」との話が持ち上るが賛否両論。
「高山では八幡様に筆塚というのがあるが山川草木、我々手元にあるすべてのものには命があり、これに感謝することは茶道の精神にも通ずるものです。」と和尚様の言葉があり、その後の秋の彼岸までに募金活動、庭師の手配、開眼供養の計画など多忙な半年でした。
私達のお茶の先生、林千代子先生につきましては、先般、高山市文化協会発行の『広報、高山の文化』に浅野晶子先生が紹介下さいましたので割愛させて頂きますが、林先生は五十歳を過ぎてから単身京都に出られ、表千家十三代家元、即中斎宗匠そくちゅうさいそうしょうの内弟子となられ、古いしきたりの高山のお茶の世界に新しい一石を投じていただきました。
その後毎年の茶筅供養の後の副席として野点のだて庫裏くりを開放して頂き茶席を設けたものです。
先生が亡くなり、しばらくは社中で行事を引き継いでおりましたが第40回をきっかけに表千家各社中皆さんで作る好友会に引き継いで頂いた経緯があります。

表千家同門会全国大会

こうして今日まで行事は継承されたのですが、好友会組織はさらに発展し、今から15年程前、表千家同門会全国大会が高山市に決まり家元宗匠をはじめとする全国各支部の皆様たちをお迎えする一大イベントが開催されました。
当日、東京からお越しの酒井さん(旧姓、新谷さん)に声をかけられました。
「皆さんは、今もお茶を続けておいでですか。私は若いころ林先生の社中に仲間入りさせて頂き結婚して東京に落ち着きましてから、あるお方の紹介で東京の
先生の門を叩くことになりました。
「私は以前、田舎である飛騨高山で少しだけお稽古に通いました。」と言いますと先生は、「そうですか。それではお薄を一服頂戴致しましょう。」と、いきなりお点前をする事となり、固くなりながらどうにか先生の前にお茶をさしだしますと、
「結構なお手前ですね。」
「はっ。はい。」
「私はあなたのお点前を褒めているのではありませんよ。あなたをご指導された先生を褒めているのです。」と言われました。
「高山の思い出はとてもいいことばかりで林先生のお稽古場の事を、時々思い出しているのです。」
酒井さんは涙ながらに話してくれました。
私は先生のお稽古場に三十五年お見送りしてから二十五年、何のお役にも立たず年とともに次第に横着なことをしておりますが、昔から縁もゆかりも、などと申しておりますが、縁とゆかりは目に見えないだけで果てしなく繋がっているようです。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。