頭陀袋140 令和6年2月号

頭陀袋140 恩林寺涅槃図
頭陀袋140 恩林寺涅槃図

涅槃忌のお話

二月十五日は涅槃忌といって、お釈迦様が亡くなった日にちなんで御供養の法要を営みます。
これを又は涅槃会と申します。
涅槃とはインドの古い言葉(ニルグアーナ)を漢字に当てはめたものと思われます。
迷いの日常が吹き消された状態、安らぎという意味があり、命の火が消されたことを指す涅槃会には涅槃図という掛軸をかけて法要を行います。
高山では以前涅槃図を所蔵している寺院が協賛して一堂に二十点余りが展示されたように記憶しております。
中でも、特に大作は東山、法華寺様のものでした。
お彼岸の時期になりますと高山の寺院では涅槃会と彼岸会をあわせて行うところが多いのでこの時期、東山のお寺詣りをしながら涅槃像を訪ねられるのもよいでしょう。
恩林寺では二月末日~三月末日まで涅槃図をかけてご供養しております。

和尚の昭和下岡本を語る

昭和の終わり中山地区は開発が進み、まず初めに、昭和二十八年CBC高山放送局が開局し、鉄塔に明かりがともりました。
次に昭和三十五年高山市立第三中学校が中山中学と名を変え中山に移転しました。
当時の下岡本は三ケ寺を含め五十数戸でほとんどが農家でした。
中山の裾は現在のデリカよこみち近くまで伸びており、この辺を孫七山と言っておりました。
この山の北側に滾々と湧く清水があり、通称、岩が洞清水と言っておりました。
現在の中山地区には岩が洞、長洞、竹が洞、という開墾畑があり、畑に通う百姓衆は岩が洞清水を汲んで「うまい。うまい。」と言っており、いつしか死に水にいいといわれるようになっていました。
近年、古川に嫁いでいたおばさんが臨終の時(岩が洞の清水が飲みてえ。)と言って亡くなりました。
清水は宅地化後、整備されましたが残念ながら水は枯れてしまいました。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。