頭陀袋028 平成26年10月号

信心の綱 (譬喩経より)

ある国王が、大工の棟梁に命じて、とて も高く立派な石柱を建てさせた。それはあまりにも見事な石柱だったので王は、棟梁が他の国に出かけて行って同じようなものを建てられると困ると思い、棟梁が石柱頂上にのもぼっている間に、足場を全部取り払わせてしまった。すると棟梁は夜になって自分の着ていた服をすべて細かく引き裂いて下にやっと届くほどの縄にして下に垂らした。下には、棟梁の身を案じた親族が集まっていて垂らされた布の縄に太い綱を結びつけてやると、 棟梁はそれを吊り上げ、石柱に縛り付けて、綱を握ってスルスルと地上に降りることができた。

さてこれは何のたとえ話であろうか。高い石柱はひとが生き死にして迷いを重ねるこの世である。足場が取り払われたのは過去の諸仏がすでに滅を唱えて現世におられないことを意味する。しかし、後の信徒である棟梁が衣服を裂いて仏の残された法の縄とし、下に垂らすと仏法を後の世に伝つけて、塔に繋ぐえる僧が親族として集まり、 信心の綱をようにさせ、これによって生き死にの迷いを完全に離れるようにした。という、たとえ話である。

袈裟の功徳 (地蔵十輪経より)

昔、ある国に死罪を宣告された男がいた。 この国では罪人を悪鬼の住むところに連れて行きその体を食わせるという習わしであった。 罪人はそれを聞いていたので、 何とか助かろうと思い髪をおろし袈裟を求めて、その切れ端を得ることができ、それを首にかけた。

罪人は悪鬼の住む場所に連れて行かれ夜になった。すると鬼たちは男を食べようとゾロゾロと出てきた。彼はその様子を見て震え上がった。しかし、その時、鬼の母はこの男が坊さんのように髪をおろし赤い袈裟の切れ端を首にかけているのを見て彼の周りを右回りに合掌しながら歩くのだった。鬼の子供は腹が減っていたので「早くこの人間を食べたいよう」と母に言うと「この方は仏様の袈裟を身に着けているので食べてはいけません。食べると再び無間地獄に落ちますよ。」といって止めた。

そしてすべての鬼たちを説得して食べさせないようにしたので命拾いをした。そして、夜はしらじら明けて きた。役人たちは彼が鬼に食われなかったのをみて大変驚き、王にこのことを告げた。すると、王はこれより仏の弟子や授戒したものは鬼でも食べないのだから、これより後、死罪をやめることにした。この話から人がなくなると摺り袈裟を首のかける信仰が生まれたといわれている。

お寺に行こう。和尚さんと、ともだちになろう。

お寺に行こう。和尚さんと、ともだちになろう。を、キャッチフレーズに今年は、いろいろな行事を計画しました。

先日は 門前の有志のご発案で お寺でカ今ラオケ大会を催しましたところたくさんの賛同をいただきありがとうございました。

また来年もぜひ、との声がかかっております。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。