頭陀袋027 平成26年9月号

断腸の猿 (動物・愛別離苦)

東晋の武将、垣温(かんおん)が長江の三峡を下る途中、その侍者が岸の岩場で遊ぶ一匹の猿を捕まえて船に乗せた。子猿は暴れてなき叫び助けを求めてその悲鳴は谷にこだました。このとき、山中にあって木の実を取っていた親猿は胸騒ぎがして、すぐに自分の身にも異変がわかった。絶壁の眼下、見ればまさに我が子が連れ去られようとしているではないか。

母猿の動転は極みに達した。船はすでに岸を離れている。母猿は我を忘れて追いかけた。山を下り木々を伝い、岩を飛び必死の形相であらん限りの力を振り絞って走り続けたが船は矢のように遠さかるばかり。急流に追いつくことはできない。

子猿を思う母猿は哀号しながら百余里を追走した。そしてついに船にたどり着き船に飛び乗ったが力尽きてそこで息絶えてしまった。船の者が母猿の腹を割いてみると悲しみのあまりその腸は寸寸に断ちきれていた。 こうしたいきさつから必死の思いを(断腸の思い)というようになったという。

阿弥陀様の再会

昭和の初め(今から九十年ほど前)、川原町に中島さんという畳屋さんがありました。ご主人の徳造さんはとても信心深い方で、ご先祖から伝わる阿弥陀様のお像をとても大切にしておられ、毎日のお給仕を怠りませんでした。

あるとき徳造さんは夢を見て、(阿弥陀仏は十万億土という遠いところに仏の世界があって我々凡夫をお救いくださるという。夕日の沈む西の方角から私をみて頬笑んでおられた。)

そういえば我が家に伝わる阿弥陀さまも西の方角にお移りしていただくのがいいのでないか?もったいないことであった。と、同じ町内の塗り師、町田長之助さんに相談すると、「なんということでしょう。 実は、私が帰依している恩林寺の覚念和尚さんがお寺のお庫裏のお内仏をおまつりしたいと話されたばかりです。不思議な御縁ですね。長之助さんは仏様のおみちびきと、さっそく、覚念和尚にそのことを告げ、阿弥陀様のお像は恩林寺の内仏として納められたのです。

覚念和尚はこのことを、萬福寺の当時の管長様、星野直翁猊下に報告すると猊下はさっそ く「南無阿弥陀仏」と揮毫され徳造さんに御受納のしるしに御下付がありました。中島家にお参りに伺ったおり、こんな話をしましたら、先日、ぜひ、我が家と御縁のある阿弥陀さまにお参りしたい。と、お寺に御子孫、十名がお越しいただきました。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。