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鉄眼という生き方
寶蔵國師 -人々の心に宝を授ける師-
激動の時代にあって、人々の心に深く寄り添った僧侶がいます。
それが鉄眼道光禅師。
江戸時代前期に活躍した黄檗宗の僧侶。
彼を語る上で欠かせないのが、昭和天皇から贈られた寶蔵國師という諡号です。
國師とは、国家の師として仰がれる高僧に贈られる称号であり。
寶蔵とは仏法の宝が詰まった蔵のような存在を意味します。
つまり、鉄眼はまさに「人々の心に宝を授ける師」として認められたのです。
彼は自分の名声や地位を求めるのではなく、ひたすらに他者のために生きる慈悲の実践者でした。
もし彼が自分一人の安楽を求めていたならば、これほどの諡号を受けることも、人々の記憶に刻まれることもなかったでしょう。
遺偈に込められた悟りと謙虚な自省
天和2年、鉄眼禅師は53年の生涯を閉じました。
その際、彼は『七転八倒 五十三年 妄談般若 罪犯弥天 優游華蔵界 踏破水中天』という言葉を遺しています。
この言葉には、彼の悟りの境地と深い謙虚さが凝縮されています。
後半の四句を読み解いてみます。
妄談般若とは言葉で語られる教えも所詮は真理を指し示すための仮の手段に過ぎないという意味。
罪犯弥天は、自分には到底償いきれないほどの罪があると、謙虚に自省する姿勢。
優游華蔵界は、この世界そのものが、実は仏の悟りに満ちた華やかな世界であることを楽しむ心のあり方。
そして踏破水中天は、水面に映る月を歩いて渡るように、この世の現象にとらわれず、本質を見極め自由自在に生きる姿を描いています。
時代を超えて響く「自分の中の宝物」
これらは、単なる反省や空想ではなく、現実をありのままに受け入れ、なおかつ超越して生きる禅の極意を示しています。
鉄眼禅師の生き方は、時代が変わっても色あせることのない真実を教えてくれています。
昭和天皇から贈られた寶蔵國師という言葉の重みは、彼がどれだけ自分の限界を超えて他者に尽くしたかを物語っています。
彼の遺した言葉を胸に刻み、知識に囚われず謙虚さを忘れず、目の前の日常を大切に生きていく。
そうすることで、私たち一人ひとりもまた、自分の中にある宝物を見つけることができるはずです。
昭和の和尚、下岡本を語る
激変する農村社会と復興の足跡
近年の昔話は、戦後八十年とか、太平洋戦争経験者やその家族のことは語られますがその後の復興、途中の経緯についてはあまり話題にはなりません。
農地開放や旦那様と言われた旧家の方々には厳しい時代であったように思います。
郡部の方でも今でも杉下田圃、岡村田圃などと言われる田んぼが残っていることからも、規模の大きさがわかります。
我が下岡本町はご多分に漏れず、小作農業から専業農家が増えました。
青年たちの活力とお経の稽古
若い人たちには青年団活動や消防団活動などが活発となりました。
また、先輩の兄さんたちの声掛りでお寺へお経の稽古に行きました。
町内はお東さんの御門徒さんが多く、主に正信偈を唱えるのですが、お西さんの壇家さんは少し節が違うので困りました。
しかしみんな和気藹々、集まることが楽しい勉強会でした。
宗旨を超えた絆と慕われる「ごえんさま」
私どもでは宗旨が違いますので少しなじみがありませんが、門徒のご院様とご一緒させていただく時など今でも助かっております。
願生寺のご院様は皆さんが「ごえんさま」と言って慕われておられました。
朝早くにステッキをついて村の中を散歩なさる姿を見かけたものです。













住職合掌