耳を洗う
私たちは毎日朝起きると顏を洗い口を漱ぎます。
風呂へ入って体を洗う。
しかし耳を洗うということについて古田紹欽博士はこんなことを書いておられます。
中国の堯帝が許由に、帝位を譲ろうと申し出た。
しかし許由は「汚らわしいことを聞いた」と、潁水のほとりで耳を洗ったことに由来するという。
現代は耳を洗うとなると耳鼻科のお医者さんに世話になるときぐらいで馴染みはない。
私はある古刹にお詣りに行き、仏殿前の手水鉢の横に『洗耳水』と書いてあるのを見かけた。
昔は神仏にお詣りするときは手を洗い、口を清めたものであるが、近年、そうする人が少なくなってきた。
子供のころ遠足などで神社仏閣に詣でると手水鉢のきれいな水で手を洗い水を飲んだものである。
さて手水鉢というと手を洗う鉢となるが本当のところ、手よりまず耳を洗いたい。
食べ物について口の衛生はあまり問題ではないが現代は騒音や雑音が多く完全に耳が汚染されている。
毎日のニュースでも耳触りなことばかり。
起床後に水で耳を洗わなくても「さあ、今日も頑張るぞ。良いことが聞こえますように。」
耳を大切にし、他人様の言葉をありがたく耳を傾けましょう。
玄妙老師の揮毫茶碗
緑風新茶の季節、黄檗山のある宇治は茶畑を持つ老舗がたくさんあります。
管長を務められた村瀬玄妙老師は抹茶の大徳、煎茶の黄檗と位置づけ、煎茶道と青少年の育成のために座禅の奨励に尽くされました。
和尚の昭和、下岡本を語る
私たちの住んでいる下岡本は面積のわりに戸数が少なく、長閑な農村地帯でした。
先般まで町内会長をしておられた清水さんは「私が子供の頃、自宅(雁川原橋近く)から北小学校までよく見えた」と述べていましたが、まさにその通り。
平屋建ての家が散在していて榑葺きの屋根には大きな石が並べてありました。
秋の収穫が終わると、冬の支度にかかります。
まずは薪木、山から運び出したもの(三尺位のものを三等分にして鉞で割る。我が家ではこれが兄貴と私の仕事)でした。
楢の木は切らずに椎茸の原木に残し、親父が椎茸菌を打ち込みました。
炬燵と火鉢の灰は雪が降る前に藁灰を作りまた、もみじの木の薪用に切ったものを残しておく。
さらに15㎝から20㎝ぐらいに切り、田んぼの中に積み上げる。
下に種火を置いて煙突を立て、籾ぬかを円錐状にかぶせ一晩、蒸し焼きにしますと自家製の炭ができます。
これは炭俵で買う炭より柔らかいので炬燵や火鉢のもと火に使いました。
炊事は竈を使いましたので焚き付けの杉葉を拾いに富士神社へ行きました。
竃では不浄なものを焚かないように喧しく言われました。
我が家は五右衛門風呂でうっかり後ろにもたれると熱い思いをしました。
村の各家には大きな桶に焚き口のついた風呂があり、川の水を汲んで風呂を焚く。
自宅の外で、様子を眺めながら風呂に入る。
今思えば風流なもので私も入りたかったなあ。
住職合掌