延宝三年四月、隠元老和尚をお祀りする開山堂の棟上げ式が挙げられ、七月に入ると、萬寿塔院が開山堂の右側に建てられました。
同五年の秋には松隠堂の方丈を移し、四方に垣を築いて、開山堂や開山塔を守護するような形にされました。また、天王殿の石の階段を築かれましたが、両側の石壁は数丈(一丈は三三・ 一一m)にもなりました。縦横一丈余りの水盆を天王殿の前に設けました。
参詣者は冷たい清潔な水で口をそそぎ手を洗うのにたいへん悦びました。
翌年には、静岡県駿河の横田道補信士が銀一万両を寄進されましたので、三門が建てられました。縦二十一肘(一肘は四二cm) 横三十三肘、高さ三十九肘という広大なもので、五月三日、棟上げ式があり、九月には落成し、七日間盛大な仏事法要が執り行なわれました。
黄檗山の重な建物は総門を残してほぼ整いました。
コメントを残す