京都の南の郊外。宇治の里は、平安朝時代から貴族の別荘地として知られていました。
今、この地訪づれてみますと、そこには当時の栄華を誇る平等院の殿堂や、寺社の面影を髣髴とさせる幾多の遺蹟を見ることができます。
そのなかにあって、ひときわ異彩を放った伽藍(寺の建物)が、宇治茶の香漂う五雲峰の麓に荘厳な甍も空高く聳え建っている一廓があります。
俳人菊舎が、 「山門を出れば日本ぞ茶摘うた」
と詠たっておりますように、この寺の境内に足を一歩踏み入れますと、中国がここに出現したのではないかと思われるような建物が次々に展開されて来ます。
この寺は黄檗山萬福寺で、寛文年間、隠元隆琦禅師によって開創されました。
これから述べようとする二祖木庵性瑫禅師によってこの寺の山門を始め多くの伽藍は今日目の前に見るように整備されたものでした。
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