寛文七年五月、将軍家から二万両と南海地方の木材チークが下賜され、仏殿を建てることになりました。
青木甲斐守が、黄檗山内に不二庵を新築してここに住まわれ、工事の監督にあたられました。
翌年、大雄宝殿(仏殿)の建築にとりかかり、三月二十五日棟上げ式があり、禅師は香を焼いて祈られました。広さ十三間、深さ十一間というすこぶる大きな伽藍でした。
つづいて天王殿、斎堂(食堂)、鐘楼、伽藍堂、祖師堂も次々に建てられました。
十二月八日、これらの建物もほぼ竣工しましたので七日間の法要を行ない、上堂説法して感謝の情を披瀝されました。
また明る年の三月、江戸へ下って建物が目出度く竣工したお礼を幕府に言上されました。
江戸では黄檗山開創に大功のあった大老酒井空印大居士の法要をすまされ、老中稲葉公を始め諸大名の私邸に招かれて説法されましたので、一ヶ月余り江戸に滞在されました。
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