頭陀袋098 令和2年8月号

堪忍袋の緒が切れる

「きれる」と、国語辞典を引くと二十項目にも上る意味、使い方に出会います。
でも主語をつけて「あの人はきれる」と、言えばおのずと意味は限定されてきます。
日本語としての「きれる」とは頭の良い人、物事をテキパキ片付ける能力のある人を言います。
ところが「きれる人」の解釈がまるで変ってしまったことが解ります。
すぐキレる若者、イライラしている人、すぐ怒り出す人、今流にいえば「きれる」は堪忍袋の緒が切れるの方の「切れる」が一般的のようです。
キレる若者の割合は60%を超えたようです。
「ムシャクシャして誰でもよいから殺してやろうと思った。」との供述が、犯罪者の言葉として報道されます。
「堪忍」とは「耐え忍ぶこと」ですが、堪忍する修行をしなければ堪忍は身につかないでしょう。
自分をしっかり管理する修行を積むことが大切です。
私たちは堪忍袋の緒を切ってはいけません。
人間は緒をしっかり結んでおかなければならない堪忍袋を三つ内蔵しています。
貪欲が詰め込まれている貪袋、怒りが詰め込まれている瞋袋、愚かさが詰め込まれている痴袋の三つです。
緒が緩むと貪瞋痴が漏れ出し血液中に入り込み全身を駆け巡ります。
そうすると「この私」が欲張り、怒りんぼ、愚か者になり果ててしまうのです。
古来、堪忍袋の緒を切ったばかりに人生をだいなしにしてしまった人は数知れません。
切れてはいけない。キレてはいけない。」と、心に念じ、耐える修行を積まねばなりません。

お施餓鬼法要無事終わりました。

七月五日、毎年恒例のお施餓鬼法要を勤めさせていただきました。
当日は岐阜県内黄檗寺院様、東山宗猷寺住職様、総勢10名あまりで、コロナ等、皆様気がかりの中ご参詣いただきありがとうございました。
紙面を借り厚く御礼申し上げます。

小僧さんの僧談事

「貪瞋癡」の例えとして西遊記が挙げられます。 
貪る猿・怠ける豚・怒る河童の3匹を連れて旅をする三蔵法師のお話です。
 
これは人間が常に「貪瞋癡」を抱えて生きていることを示しています。
何かあるとすぐ貪り、怠けて怒る。人間のダメなところだと思います。
西遊記では天竺、すなわち仏の国を目指します。途中に困難があっても、少し遠回りをしたとしても、ただひたすら仏道を歩んでいます。
私たちも、三蔵法師のように何があってもめげず、堪忍袋を開けることなく、日々精進していきたいですね。
小僧合掌

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。