ワガママな恩林寺の小僧です。
僕は昔から我慢が足らず、おもちゃなどが欲しいとよくワガママを言っていた気がします。
特に好きだったのは「ヒーローベルト」でした。
変身して😲祖父など身内の悪者役をしてくれる人を倒していました😆
我慢しなさい
よく「我慢しなさい😡」と言う人がいます。
確かに我慢は大事だと思います。
しかしこの我慢、『耐えなさい』という意味で使われていますが、仏教では違う意味になります。
七慢
さて、仏教での我慢の意味は何でしょう?
それは阿毘達磨品類足論巻一の中にこう書かれています。
我慢以外にも、多くの慢があって驚かれたのではないでしょうか?
我慢とは、自分を偉いと思い込み、他人を軽んじる思いや姿勢を表しています。
自身に執着し過ぎて自分を高いところに置いて、他人を蔑視や軽視する心が生まれるとお釈迦様は教えてくれています🙏
謙遜と謙虚は混同して用いられることが多い言葉です。
どちらも控えめな態度のことを意味しているのが原因かもしれません。
謙遜は、自分を低く見せるために、意図的にとられる控えめさのこと。
謙虚は本心からの言動や態度が控えめで慎ましいことです。
九慢・八慢
七つに分けたものを七慢といいましたが、八慢、九慢という分類もあります。
七つだけでも大変なのに…と思われた方もおられるのでは?
どうぞ参考程度にお読みください。
七慢の慢・過慢・卑慢の三種類からの展開した姿と思って頂ければと思います。
我勝慢(過慢)
自分とほぼ等しい者に対して、自分が方が優れていると思い込む姿。
我等慢(慢)
自分より優れている者に対して、自分と同等程度だと思い込む姿。
我劣慢(卑慢)
自分よりはるかに優れている者に対して、自分は少しだけ劣っているかも?と思い込む姿。
有勝我慢(卑慢)
自分よりはるかに優れている者に対して、謙遜を装いながら、あの方は自分より優れていると思い込む姿。
有等我慢(慢)
自分と他人とを比べて、同程度だと思い込む姿。
有劣我慢(過慢)
自分と等しい者に対して、自分より劣っていると思い込む姿。
無勝我慢(慢)
自身が一番優れていると思い、他人が自身より優れているはずがないと思い込む姿。
無等我慢(過慢)
他人が自分と等しいことはないと思い込む姿。
無劣我慢(卑慢)
自分よりはるかに優れている者に対して、謙遜を装いながら、あの方は自分より劣ることはないと思い込む姿。
慢
自分が他人より劣っているのに「自分の方が優れている」と思うこと。
大慢
自分と等しい者に対して、「自分の方が優れている」と思うこと。
慢慢
自分が他人より優れていることを鼻に掛けて、相手を見下すこと。
我慢
七慢の我慢と同じ
増上慢
七慢の増上慢と同じ
不如慢
自分よりはるかに優れている者に対して、「自分は少し劣っている」と思うこと。
邪慢
七慢の邪慢と同じ
倣慢
人や年上、優れた人に対して、礼儀を行わず、尊敬しないこと。
慢
この慢という漢字は、あまり良い意味では使われていないと思いませんか?
思いついたものを上げると、我慢・緩慢・高慢・傲慢・自慢・怠慢・慢心…。
怠けた姿や驕る姿、病が長引いた姿など…いずれも悪い意味で使われています。
ことわざも同じように、あまり良い意味のものが浮かびません。
- 高慢は出世の行き止まり
- 口自慢の仕事下手
- 慢心鼻を弾かる
これは仏教では煩悩の一つとして扱われてきたからではないか?と思います。
経典によって表現方法が異なりますが、自己中心的で思いやりのない心理状態を表しています。
慢心は自身や他の物事に対する問題を正しい判断ができなくなってしまいます。
慢心を起こさないように、自分の生活を謙虚に反省していくことを大切にしたいと思います。
小僧合掌
慢
自分より劣っている人に対しては自分が勝っていると自惚れたり、同等の人に対しては、自分と等しいと思う心。
正当な評価のように見えますが、自身と他人を比較してしまう慢心がそこにあります。
過慢
自分と同等の人に対して自分が勝っている。
自分以上の人を自分と同等と見る。自身の過大評価を指します。
慢過慢
優れている人を見て、自分はさらにその上に立っているという誤解に気づかず自惚れている姿。
我慢
最近は忍耐の意味で使われます。仏法では自分本位の意味になります。
他人の助力に気づかず、自身の力のみに固執する姿。
増上慢
悟っていないのに『悟った…』得ていないのに『得た…』自身より上のものはなく、仏陀さえも超えたと思い込んでいる姿。
卑慢
非常に優れている人を見て、自分は少し劣っていると思うこと。
一般的に、謙遜する方の多くはこの卑慢である場合が多い。
邪慢
自身に徳が無いのに有ると思いこんでいる姿。
間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張り、人に自分のことを自慢する姿勢。