念じるということ

超能力に憧れる恩林寺の小僧です。

来月1日から8日朝まで臘八大摂心ろうはつおおせっしんという修行期間が始まります。
ご飯と東司(トイレ)以外は座禅をするというものです。
一見、座るだけで楽そうに見えますが寒い中で座らなければならないのと、就寝すら無いのでかなりの寝不足になります。
最初のうちは「あと何日」なんて数えていられるものの、後半になるにつれて何も考えられなくなっていきます。
相当辛い経験の一つだったと思っています。

心に仏を念じよう

黄檗宗の座禅は「念仏禅」と言います。
この世は浄土であり、この心には仏がおられる。と説いています。
『心で仏を念じながら座りなさい。』と、臘八大摂心の前に言われたことがありました。

念仏?

一般的に浄土系宗派の合掌礼拝時に「南無阿弥陀仏」と声に出して称える称名念仏を指す言葉として用いられることが多いと思います。
浄土の教えには、心が散乱することのない安定した境地のことを正念と言い、臨終時の心の様子を表すものとして説かれることが多いようです。
では念じるとは何でしょう?
超能力の『念力』を使えるというような意味ではありません。
辞典などには『強く願うこと・神仏のご真言やお経を唱えること』とあります。
念仏は仏教における行のひとつで、仏陀を心に描いて瞑想修行したことが始まりのようです。
仏の姿や功徳を思い描いたり、その名号を口に出して呼ぶことを指します。
「南無釈迦牟尼世尊」・「南無観世音菩薩」と唱えることも念仏にあたるようです。
坐禅をしながら正しい心に仏様を描く。
小僧も未だに修行中の身です。
少しでも『念仏禅』が出来るように精一杯頑張りたいと思っています。

正念

お釈迦様が悟りにいたるための正しい実践行として説いた八正道。
その七番目になっているのが正念です。
『正念』とは常に仏道を心に思いとどめることを意味します。

八正道

正見・正思(正思惟)・正語・正業・正命・正精進・正念・正定

正念とは

『念』という言葉には、『心の中で思うこと・過去を追念すること』といった意味があります。
ですので一般的には『正念』とは正しい思慮や注意を指すます。
大乗仏教では真実をあらわす姿である仏を念ずることを正念と言うようになったようです。
邪念を払い常に仏を念じる姿そのものであり、真理を求める心を忘れないことだと思います。

正念場

よく「ここが正念場だ!」なんて聞きます。(最近は聞いてないかも?)
物事の重要な局面の事で、成功・失敗が決まるといった場面で使われています。
字だけ見れば正念する場所に見えませんか🙄
実は…正念とは全く異っております。
元々は性根場しょうねばと読んでいたそうで、歌舞伎等で役柄の性根を見せる重要な場面のことだそうです。
そこに仏教用語が取り入れられ、「正念場」となったと言われています。(諸説あり)

最後に…

今年も雲水さんが本山で臘八大摂心を受けられます。
しかも小僧が直接指導した(はずの😅)後輩の雲水さんたちです。
皆さんの温かい声援が届きますよう、私も心から祈っております。
小僧は、本山へ伺って直接応援しようかな😁
「フレ~フレ~」って…あっ、うるさいか?😅😅😅

小僧さん

先ほど、私は超能力に憧れると話しましたが、出来れば空を飛べるようになりたいと思っています。
なぜなら交通渋滞に合わなくて済むから😁
このような楽をしたいという悪い心(邪念😭)では『正念』は出来ませんね😱
『千里の道も一歩から』
一歩一歩と足を進めながら一つ一つ念仏して行きたいなぁと思います🙏

小僧合掌

八正道

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恩林寺の小僧さん
檀信徒の皆さんに『一休さん・小僧さん…』様々な愛称で呼ばれております、鳳雅禅士です。「一日一善」を心がけながら、日々精進していきます。感謝・合掌。