慧林和尚に黄檗山第三代住持の席を継がさせられ、隠退されたとはいえ、それは名だけのことで、一日として安逸をむさぼられることなく坐禅され、また禅の悟りを求めて訪ねて来る者には親切に禅の真の姿を披露して接化されました。
そして日々の定められた清規 (禅寺の規則)は自分できちんと守られ、たとえ忙しくて暇がない時でも、規則にはずれるような行ないはされませんでした。
禅師の気力は老いて益々盛んで余裕しゃくしゃくとして衰えることがないようにみえました。
天和二年の冬、坐禅されていてその後で風邪をひかれました。
なにぶんにもお老齢のこととて病状が一時悪化いたしましたが、年が明けるとともに病も快方に向いましたので、茶の会を催されて、泊りがけで詰めておられた和尚方に自分の寺や持ち場に帰るように促がされました。
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