頭陀袋126 令和4年12月号

かんのんさま(続)

今回は恩林寺、中山かんのん様についてお話いたしましょう。

華岳山 恩林寺

明治政府の発した廃仏毀釈は我が国の仏教界には大変な痛手でありました。神社の別当寺院や中小の寺院は、この時たくさん姿を消すことになります。
その反動か、約五十年後の大正、昭和初年にかけてあちこちで姿を消した寺院が復興するという現象が起きてまいります。
恩林寺は昔、滋賀県蒲生郡平田村(現在の八日市市)華岳山、山麓にあり、天台宗のお寺でありました。
江戸時代黄檗僧、木庵禅師により黄檗宗に移籍しました。

萬福寺聯灯堂

明治の混乱により衰退していたのを、堺の海岸寺で得度した覚念禅師は郷里高山に私財を投じ移転復興を発願し、当時の黄檗山管長、星野直翁猊下のご支援を得て昭和三年、めでたく入仏いたしました。
旧ご本尊は平田村村民の希望により現地に残すこととなり、改めて黄檗山萬福寺聯灯堂の秘仏、聖観世音菩薩の尊像を下附されることとなりました。

黄檗の仏像は当初、中国の仏師、氾道生の独特の尊像が主体でありましたが、この観音様の姿は顔は江戸時代の美人をモデルにし、装束は黄檗伝来のもの、という特殊なもので、中国風の仏像が、日本人になじむように日本の仏師によりつくられたもので黄檗山にある時は女性の方に多く信仰され、安産、子供の成長、水子、死産、難病平癒など歓び悲しみ、苦しみを受け止めていただける仏様として伝えられてきました。

現在は、飛騨三十三観音霊場第十八番、中山かんのんとして親しまれております。

ご報告

本年は宗祖 隠元禅師没後、三百五十年にあたり今上天皇より厳統大師と、諡を頂戴し十月三日大本山開山堂で報告法要があり、住職、新堂も列席いたしました。
十月二十三日、観音慶讃法要、歴代住職報恩法要を務めました。
ご参拝の方々ありがとうございました。

手紙

高山市清見町在住の仏師、高田慈眼様より素晴らしいお便りを頂きました。
皆様にご紹介致します。

臘八大摂心の時期が来ました

12月1日~8日の朝まで坐禅をするという修行を臘八大摂心と言います。
これはお釈迦様が寝ずに坐禅をしたことを見習い、我々も同じことをするようになりました。12月8日はお釈迦様が悟りを開いた「成道」の日とされ法要を行います。
もし時間がありましたら恩林寺で坐禅をしてみてはいかがでしょうか?
少しの時間でも心が落ち着くと思いますので、ぜひお越しください。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。