忠言は耳に逆らう
秦の始皇帝の死後、 真っ先に都に入ったのは 後に漢を建国する劉邦でした。
競争相手である楚の項羽に先んじたことの喜びと、美女と財宝に囲まれて、すっかり気が緩み有頂天になったのを勇将が戒めるのですが劉邦は勇将の言うことなど聞き入れようともしません。
その時軍師の張良は「忠言は耳に逆らい、良薬は口に苦し」と目の前に広がる贅沢に我をわすれているのでないか?と諭すのです。
「もっともな忠言は、さぞや耳障りでしょうが、良薬は口には苦いですが病気にはよく効くものです。どうか勇将の忠告をお聞き入れください。」
この一言で劉邦は莫大な財宝と美女に囲まれ、有頂天の自分に気が付いたのでした。
その時は不愉快だったり、辛かったり、自尊心を傷つけられたりするけれども、あとになって功を奏するのが忠言とか叱責というものです。劉邦でなくても他人の忠言(忠告)というものはなかなか素直に受け入れにくいものです。それが的を得た言葉であればあるほど人は素直になれないものです。
聞く耳を持つ。人の忠言を素直に受け入れる。これには勇気がいります。軌道修正のチャンスです。
他人のおべんちゃら、誉め言葉はいつも耳に心地よく、それがお世辞と分かっていてもつい、まんざらでもない気分になってしまうのですから人間の心とは厄介なものでよく、人の上に立つ人は常に、自分と反りの合わない人を傍に置け、と言いますがこうしたことに由来し、忠言が本当の自分を取り戻す絶好の機会であることを知るべきでしょう。
住職合掌