頭陀袋085 令和元年7月号

施食のはじめ

あるとき、修行僧が閑静な木の下で座禅をしていました。
すると、樹の上に猿が住んでいて、僧が食事をしているのを見て自分も食べたくなり、樹から降りて僧の前までやってきました。
僧は猿に残飯を与えると猿は、鉢の底まで舐めて、食べ終わると、感心なことに水辺迄行き、鉢をよく洗い僧に返しました。
こうして同じように、猿に食事を与えるのが習慣になっていたある日、僧はうっかり食事を食べ残さず、鉢を空にしてしまいました。
猿は、当然施されるとばかり思っていた食べ物がないので大変怒り、僧の袈裟を奪い、樹の上でズタズタに裂いてしまいました。
これには修行の身である僧もカッとなり、杖で猿を撃つと当たりところが悪かったのか、猿は悶絶して死んでしまいました。
すると、傍に数匹の猿が寄ってきて悲しみ、死んだ猿を担いで寺まで運んでゆきました。
寺の住職は、『これは何かわけがあるのだろう。』と思い、修行の僧を集めて、誰かその理由を知らないか尋ねたところ、誤って猿を殺した僧が前に出て正直に詳細を述べると、その後、食事の時はその一部を取りおいて動物や虫に施すようにした、と言います。
禅宗のお寺ではこれを、生飯『サバ』と申します。 黄檗山萬福寺を開いた隠元禅師は鳥や動物をかわいがる方で、寺に集まってくる鳥に餌を買い与えたり、また境内に『生飯台(さばだい)』という餌台を設け、雲水や、自分たち山内のお坊さんたちが自分たちに備わった食事の中から少しずつ取り分けてあたえるようにしました。 こうして、現在までこのしきたりは続けられております。

頭陀袋によせて (読者様からのおたより)

毎月のお届けありがとうございます。開けて読むと毎回、驚きです。
私の心の中をずっと見ていたかのようにその答えがいつも書いてあるのです。
全部が実行できるような私ではありませんが、一つでも心の中に止めておいてプラスに考えるようにしています。
六十年生きてきた私ですが、読むたびに『なるほど』と、思うばかりです。
何のお返しもせずお届けいただくばかりですが、これからも毎月、楽しみにしていますのでよろしくお願いいたします。
飛騨市古川町 I・T様、コメントありがとうございます。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。