頭陀袋080 平成31年2月号

曾源の一滴水(そうげんのいってきすい)『余分なものなど何一つない』

此の地上に存在するすべてのものは単独で 存在するものはない。

すべてのものは必要があって存在しているものと言える。

余分というものなど何もないのである。

岡山の曽源寺に儀山禅師が住んでおられた。若い雲水が風呂を焚いていると禅師が湯に入ってこられた。

「すこし熱いから、水でうめてくれんか。」儀山禅師に声をかけられた若い雲水は手桶に残っていた水を地面にあけ、新しい水を汲んできて湯に加えた。禅師はこの一瞬をとらえて雲水を諭した。「一滴の水でもどうして庭木の根元にかけてやれないのだ。水をもらえば庭木も助かるし、水も生きるでないか。禅を志す者は、すべてを生かし切る覚悟がなくてはならんのだよ。」若い雲水はその後、自らを(滴水:てきすい)と名乗った。

天龍寺の名僧、滴水禅師こそその人である。滴水禅師は、「曽源の一滴水は生涯使いきれなかった。」と言ってこの世を去っていった。と伝えられています。

茶禅一味

毎日、茶を何気なく飲んで過ごしている。茶と禅は深いかかわりを持っている。

鎌倉時代、栄西禅師は中国から茶の苗木を持ってきて禅の修行に疲れた修行僧の心身を回復させるために茶の栽培を行い、大いに日本に広めた。禅師は「茶は心臓を整え、内臓を強くし、心を静める良薬である。」と言っている。 このため禅と茶は、切っても 切れない間柄となっている。

千利休は天下一の茶人として知られている。禅は大徳寺で学んでいる。南方録という茶道の本には「小座敷の茶の湯は第一、仏法をもって得道することなり。水を運び、薪をとり、湯を沸かして仏に供え、人に施し、我も飲み、花を立て、香を焚きてみなみな仏祖の跡を学ぶなり。」とあります。

その昔、お茶を習う、というと良家のお嬢様の心得、などと言われておりました。 私たちの若いころ(今から五十年ぐらい前になりますが)習い事ブームだったのか、若い人は、お茶を習う。 着付け教室、洋裁、生け花、みんなが競争のように、習い事に通いました。最近また、お茶が国際的なブームを迎えようとしています。日本で使われる抹茶、煎茶も、中国製というのが出廻りそうです。

お茶を飲むということだけでなく、茶の湯のマナーも、この際、思い出すことが大切ではないかと感じております。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUT US
アバター画像
古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。