袈裟の功徳
高山市の隣町、飛騨市古川町の郊外に袈裟丸(けさまる)という地名があります。
この部落のおてらの三代前の住職さんがこんな歌を残しておられます。み仏に、えにしある身を思うべしその名もうれし袈裟丸の里。
袈裟とは梵語のカサーヤを映したもので意訳して染色衣と申します。ご承知の通り現在は法衣の上にかけておりますが、元来はインドのしきたりでは直接肌につけたものです。(現在の衣は元は中国で作られたものです。)
はじめは草木の皮や葉や花をとり、その汁で染めたもので赤の濁った色=木蘭(橙色の濁った色)、鼠色、萌黄色の三種を壊色(えしき)と言いまして釈尊の教えに沿ったものです。壊色とは正色の反対です。濁らない美しい色ですと、煩悩を起こしやすいからとくに色を壊して人の欲望をおこらぬように染めて着るのです。
昨今の金襴の袈裟などは、後世に考えたもので、その元は糞掃衣(ふんぞうえ)という袈裟です。この糞掃衣とはゴミ捨てにすててあった布切れ、木綿、絹、緞子、などの裂をひろいあつめ、洗い清めてつなぎ合わせたものでした。それがだんだん移り変わって現代のようなものに変化してまいりました。糞掃衣についての諺に三度清めりゃ袈裟になる。というのがあります。ひとによると、なんでも汚がる人がいます。もちろん汚れたものは汚いに違いないが、よく洗い清めれば役にたたないでもない。それを少し汚れたからと言って捨ててしまうのはもったいないことです。三度清めりゃ袈裟になる。すなわち、袈裟ほど清いものはないから、こう喩えたのです。
仏教元来の姿から言えば欲をすてて出家し、世俗の着飾るのを戒める出家としての袈裟はあまりにも矛盾したものであります。しかし、それも方便と言えばそれまでですが、こんなに着飾っているうちに仏法はどしどし逃げ出してしまいます。
袈裟の別名に解脱服(げだつふく)功徳衣(くどくえ)といい、迷いを解き、苦を脱するための服であります。
偈文に「大いなるかな解脱服、無相福田衣、着てはよく戒行を奉じ、ひろく諸々の衆生を度せん。」と、あります。
宗猷寺様の慶事
日頃お世話になつております宗猷寺の副住職、今城宗興禅師は九月九日、宗猷寺第二十三世を継承され、晋山式が挙行されます。謹んでお祝い申し上げます。
住職合掌