頭陀袋076 平成30年10月号

数珠について

数珠についてパソコン(インターネット)を開いてみますと、玉・石・種子・香木などを使った小玉を連ね通して環としたもので、佛号を唱えたり、真言陀羅尼を唱念する回数を数えたり仏を礼拝するときに手にかける法具、と出てきました。

私がよくお伺いするご家庭で家族みんなのお数珠があり、仏壇の横の数珠掛けにかけてあり、お経が始まるとおばあちゃん、お父さん、お母さん、子供さん兄妹、皆さんがそれぞれマイ数珠を手にかけお参りされます。私はこれこそ本来の数珠の在り方ではないかと、日ごろ感心しております。
「和尚さん。お数珠はどうしてこんなにたくさんの玉があるの。」
「それは、私たちのわがままとか、人に迷惑になるような悪い心が、独り歩きしないように、ひもで結んであるんやよ。ほれ、この一番大きな玉が私でそのほかの飾りの玉はお父さん、お母さん、おばあちゃん、それに亡くなったおじいちゃんたちなんやよ。仏様の前で「私はわがまま言いません。みんなに迷惑かけません。悪い心を起こしません。私の悪い心はこの紐に縛られて飛び出しません。仏様。いつも私をまもってくれてありがとう。」と、お参りするんやよ。」なんて説明しています。

数珠の環の数は通常、百八あり、百八煩悩をあらわしますが、半数の五十四個、更にその半分の二十七個の場合もあります。

昔は菩提樹の実や水晶などが用いられましたが現在はそれらに変えて簡素なものや、豪華なものがもちいられるようになりました。また宗派によって指定された数珠を用いる場合もあります。しかし数珠は自分の分身のように持ち歩き、お寺の行事、ご不幸の時のお参りの時など身近な法具として生き続けることは有難いことです。どうか箪笥や仏壇の引き出しにしまい込まないように日頃活躍の場を与えてやっていただきたいと思います。

また、紐が切れた・房が取れたといったトラブルが発生した時、「縁起が悪い」という人がありますが、決してそのようなことはありません。珠が散逸しないよう早めに仏具屋さんに相談し、修理して大切に使いましょう。

隠元禅師三百五十年遠忌

二〇二二年は宗祖隠元禅師が亡くなられてから三百五十年目にあたります。宗祖の功績をたたえ黄檗宗の法灯を伝えていけることに感謝し、三百五十年前宗祖は何を思い中国から日本に渡られたのか、日本において何を伝えようとされたのかを再考するとき、宗門だけでなく、仏教界全体の興隆に努力することが今の私たちのなすべきことかと思います。

宗祖が日本に渡られまず初めにおこなったことは受戒会です。宗祖の禅の特徴は持戒禅です。自身の三宝に帰依し、自らの規律である戒をよく保ち、自分を律することに厳しかったといわれております。黄檗のお受戒についての解説は次号に譲ります。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。