頭陀袋043 平成28年1月号

遠回りでも自分らしく

今の世の中、早いこと、上手なことがよいこととされています。学校の成績も出来高主義で、考える過程を大切にせず、つまずきながらゆっくり問題を解く余裕がありません。 何もかも手早くできるように訓練されているようです。

家庭の中でもいかに主婦の仕事を短縮するかが評価の対象となります。家庭の仕事を細かく隅々まで気をくばればいくら時間があっても足りません。 人はどこかにこだわりをもってそれをこなしています。自分の気持ちにいいリズムややり方を大事にしているものです。私たちは早くて正 いことがよいことだと思い込んでいます。

今、ヨーガや瞑想、座禅の時間を持つことが見直されてきております。 焦らずあわてず自分のすることを大事にして一日一日楽しく暮すこと、自分にも家族にもゆとりをもってにっこりすることで、たとえ遠回りでも自分らしい生き方ができると思います。忙しい朝に少しの時間を取ってゆったりとお経を唱えましょう。

茶の湯の世界

都会の企業戦士の間で今、茶の湯が流行っているそうです。お茶というと昔は、お茶にお花、花嫁修行のように言われておりましたが、そのまた昔は武士の心得としてのお茶が普通でした。お茶の稽古には、非日常の空間があります。足袋や靴下を白いものに変えて手を清め、懐紙を用意します。おなじ喫茶でもコーヒータイムとは違う前置きがあり一服のお茶を飲むまでには席に座ってからゆっくりの精神統一があります。一服のお茶をいただく ためにはいろいろな道具、亭主のお点前を通してお互いの心使いを感じ、感謝していただく行程が、日常の忙しさ、早いテンポの生活から離れ、ゆっくりとした時間を心と体にもたらしてくれます。

対人関係など切迫した職場を離れ、自己を見つめなおす時間としては最適かもしれません。茶室の環境も、炭をおこし香を焚き、湯を沸かす。その湯の沸く音さえも心にしみるような雰囲気が味わえます。茶の湯の作法は、禅宗が基礎になっておりますので茶室でなくても、仏様にお花を供え、香を焚き、お経を唱えることで十分に自己を見つめ静かな心持になることができます。

三猿

日本語のごろ合わせから『見ざる』『聞かざる』『言わざる』は日本独自のもの、と思われがちですが、実は古代エジプト、アンコールワットにもみられるものでよく似た表現は世界各地にあるようです。論語にも「礼にあらざれば視るなかれ」「礼にあらざれば聴くなかれ」「礼にあらざれば言うなかれ」と、説いています。

今年は申年、よけいなことを見ない、聴かない、言わない、ように心して過ごしたいものです。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。