頭陀袋044 平成28年2月号

正しいことだけがよいわけではない

人は正しいことがよい。間違っていることは悪いと思いがちです。
誠実なことやくそくをまもること、誰かのために尽くすこと、愚痴を言わないことが立派だと思いがちです。

しかし、その裏側にある自分のきもちに嘘をついたり苦痛だったり、無理をしている自分に正直になっているでしょうか?
どこにでもある夫婦喧嘩の内側にはお互いの我慢とわがままが、いろいろな形で表れているのです。相手を思う自分の気持ち、自分を認めてくれない相手への不満が一番よく知っている相手を深く傷つけるものです。
その時起こった出来事でいつまでも心が沈んでしまうのは大切なことを見落としてしまっているのです。
今、起こっている真実を、もっと大きな宇宙レベル、仏様レベルの眼で見ると全く違う形だったりします。案外、誰かの優しい気持ちを見落としていたりするものです。
辛いとき、苦しいときはご神仏の前で静かに座ります。大丈夫、必ず良くなるぞ。という声なき声が聞こえてきます。

節分の贈物

毎日、忙しさに追われているせいか、気が付いてみたらもう一月も終わり二月の節分が近づいております。私は昔ながらのたいせつな人たちに高山の銘菓(三島豆)を贈っております。
年末のお歳暮の時期より、正月も済んで少し一段落、今年のこと、これから起きる事などについて冷静に考える時期だからです。 節分の豆を食べながら高山のことも思い出してほしいからです。
こうした発想は、昔つかえた社長さんから教わったものです。
「贈り物をするのでも中元、歳暮の時期が来たからとか、そうした習慣だからというのでなく、芋が取れたら芋、ネギが取れたら葱、いい時期に自分の気持ちが伝わるようにしなければならない。」この言葉は大正生まれの大先輩の言葉として今もたいせつにしております。

鉄眼禅師の一切経

鉄眼禅師は三百五十年ほど前、黄檗宗の開祖隠元禅師について禅を修行されました。
仏教を広めるために一切経の出版を思い立ち、自ら版木つくりの資金を求めて全国行脚をし、困っている人を助けながら三度資金集めをされ、十年の歳月をかけて、ついに一切経、六千九百五十六巻の版木を作り上げられました。

翌年、過度の疲労のため五十三歳でお亡くなりになりました。
遺骸は黄檗山宝蔵院に葬られました。
今でもこの手刷りの一切経は黄檗山萬福寺の宝蔵院で印刷されております。
版木の字は明朝体といい、今でも新聞などで使われる書体です。

飛騨ではこの黄檗版一切経を収蔵されているお寺は、下岡本・願生寺様。古川町・真宗寺様。宮川町・祐念坊様。であり、それぞれ経蔵に大切に納められております。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。