頭陀袋022 平成26年4月号

お施餓鬼の由来について

目連尊者(お釈迦様の弟子)はあるとき、自分の母は亡きあと、どうなっているかを神通力をもって探したところ、餓鬼道に落ちて、肉は痩せ衰え、骨ばかりで地獄のような苦しみを得ていた。

木蓮尊者は神通力をもって母を供養したいと思ったがどうしても自分の力ではどうすることもできなかった。

木蓮尊者 はお釈迦様に、どうにかして母を救うことができないでしょうか?とたずねると「お前の母の罪はとても重い。生前は人に施さず自分勝手に振舞ったので、餓鬼道に落ちたのだよ。」夏安居(げあんご)、即ち雨季の修行の期間が済んだあと、ご馳走を用意し、修行の坊さんにお願いして供養しなさい。」と、言われた。木蓮尊者はその通りにすると目連の母は餓鬼の苦しみから救われた。といわれています。

もう一説には お釈迦様のお弟子である阿難尊者は静かな場所で座禅瞑想していると、焔口(えんく)という餓鬼が現れた。痩せ衰えて喉は細く口から火を吐き髪は乱れ、目は鋭く奥で光る、醜い餓鬼であった。
餓鬼は「阿難よ、お前は三日後に死んで私のような醜い餓鬼にうまれ変わるだろう。」といった。
阿難は「どうしたら私はその苦難からのがれることができるのか?」と聴くと、
餓鬼は「其れはわれら餓鬼道に落ちて苦しんでいる衆生に飲食を施し、佛法僧の三宝を供養すれば汝の命は延び、我等もまた苦難を脱することができるであろう。」と言った。

しかしそのような金銭のない阿難は釈尊に助けを求めた。 釈尊は、「観世音菩薩の秘呪がある。一器の食物を供えこの加持飲食陀羅尼(かじおんじきだらに)を唱えて加持すれば、その食べ物は無量の食物となり、一切の餓鬼は十分に空腹を満たされ無量無数の苦難を救い、施主は寿命が延長し、 その功徳により仏道を証得することができる。」といわれた。
阿難は早速その通りにすると、阿難の命は延びて救われた。これが施餓鬼の起源といわれております。

この二つの話が混同され、おおくの寺院では、 盂蘭盆の時期にお施餓鬼が行われるようになった。と、言われております。 日本におけるお盆の場合、各家の祖霊は年に一度、家の仏壇に帰ってくるものとしてお盆の期間中、毎日、供物を供える。それと同時に、無縁仏となり、俗世をさまよう霊 (水子・あるいは供養されなくなっている一切の精霊)戦没者、地震被災者、交通事故死者、三界萬霊を供養するということであります。また、近年では、餓鬼という言葉が差別に当 たるのではないかという説もあり、こうした法要を水陸会(すいりくえ)と、言うことも あります。この法会は何時行うというものではなく、仏様のご供養というものには決まっ た日にちを指定するものではありません。

高山では本町会、東山連合寺院主催で、毎年 八月十九日頃、お盆の精霊送り、川せがき という法会を柳ばしで行っております。

恩林寺では県内のお寺さんの日程もありますので、六月二十九日(日曜日)を計画いたしております。ご参詣のご縁をいただきたく追ってご案内もうしあげます。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。