真珠取りの苦労
あるとき、アナン尊者はお釈迦様に申し上げた。
「世尊は国の王者としてお生まれになり、樹下に端座されることわずか六年でお悟りを開き、仏となられました。そう考えますと仏果を成就することはそれほどむずかしいことではないように思われますが、いかがでしょうか?」 すると、世尊は 次のような因縁話を引いてお話になった。
あるとき長者がいて家財や財宝は蔵に十分にあり、求めて得られないものはないほどであった。しかしただひとつ赤い真珠がなく、これをなんとしても手に入れたいと思い、ついに意を決して多くの家来を連れて海に行って探そうとした。そのために幾山越え、とても長く険しい旅を経てようやく海岸に出て、真珠の採集に取り掛かった。そのためには、まず、自分の体に針を刺して血を出し、その血を皮袋に盛り、海底に沈めるのである。すると真珠貝は血の香りに誘い出されて皮袋を食べようとする。その瞬間、真珠貝を捕まえ、貝を割いて中の珠を取り出す。このやり方で採集を三年間続け、ようやく一個の赤真珠を得たのである。こうして長者は長年の望みを達し、おお喜びで海岸まで帰ると、連れの者たちは皆口々に賞賛した。しかし一人の悪人がいて、ある日、長者を井戸の近くに連れ出すと、隙を見て彼を井戸の中に突き落とし、井戸に蓋をして真珠を奪って逃げてしまった。長者は井戸の底に長く閉じ込められ、苦しんでいると一頭の大きな獅子が横穴から入り込み、水を飲みにきたから恐ろしくてたまらない。彼は息を潜めてじっとしていると、獅子は気ずかず出ていってしまった。このとき獅子のあとをたどって穴を通り抜け、やっと井戸の外に出ることができた。
かくして、九死に一生を得て故郷に帰り、自分を突き落とした悪人の家を訪ねるとその男は長者を一目見るなり死人が生き返ったと思い、震えあがった。そして盗んだ真珠を返したので、長者は男を責めることなく我が家に帰った。家に帰ると二人の子供がいて真珠を見るや、これをおもちゃにして遊んだ。そのとき、兄のほうが弟に「これはどこからでてきたのか?」と聞くと、弟は、「これは僕の袋から出て来た。」といい、兄は、「違うよ。これは家の甕の中から出てきたんだ。」といった。このやり取りを聞いていた父は思わず吹き出しておおわらいをした。其れを妻が見て「どうしてそんなにおかしいのですか?」と、いうので、長者は「いやはや、子供たちはまるで好き勝手なことを言っておる。この赤真珠を手に入れるために俺がどれほど苦労したかとても口では言い表わせるものではない。子供は其れを知らないから、袋から出たとか甕から出たとか、手品みたいなことをいって、これほどおかしいことはない。」
此処まで、話をされて、世尊は言葉を改め、アナンよ。お前が私のことを六年の修行で成道したと思うのは、今、話した子供と少しも変わらないではないか。アナンよ。お前のような賢いものでもそんなのんきなことをおもっているのか?」と、言われた。
他人のしたことはどんなことでもその結果だけ を見るとそれほどの苦労をしたものとは見えないが、その過程を考えるといろいろな苦労があるものです。五観の偈にいわく「ひとつには功の多少をはかり、かの来処を量る。と、あるように、いっぱいのご飯を食べるとき此処までのご飯になるまでには沢山の人たちのご苦労があった。ここにいたるまでのご苦労を返り見ることが大切でありましょう。
住職合掌