欲しい物が沢山ある恩林寺の小僧です。
欲を言えばキリがありません。
ゲームソフトに服、特に寒い冬は「髪」が欲しい小僧です🤣
特に大好きな人には何かをしてあげたくなるもので、恋人に「欲しい」と言われると何でも与えたくなってしまうのも小僧の悪い癖…😅
分け与える心
『何かをしてあげ(与え)たい』と思っていても、無い袖は振れないものです。
だからこそ、分け与えるという気持ちが大切なんだろうと思います。
しかし誰かに何かをしてあげたいという気持ちの中に、僅かばかりの見返りを求める心もあるのではないでしょうか?
何かを分け与える時、対価ありきで考えてしまいます。
対価が多ければ得をしたと言って喜び、少なければ不満をぶつける…人間というのは、卑しい生き物なのだと思います。
見返りを求めずに何かを分け与える心を仏教では布施といいます。
皆さんの布施のイメージはお寺さんに渡すお金ではないでしょうか?
現代では、「あそこの坊主は金をとる」といった言葉をよく耳にします。
「お寺にお金を渡すなんて意味無いだろ」と友達から言われたこともあります。
多くの方が布施というものを勘違いされているような気がします。
布施は強制されるものではありません。
一切の見返りを求めず、誰であっても強制しない。
『したい人が、したい分だけ』分け与える行いが布施波羅蜜なのです。
布施の種類
布施には主に三つに分けられます。
「財施」「法施」「無畏施」です。
財施というのは、人々に物やお金を惜しみなく与える心のことを意味します。
法施は、仏教の教えなどを人々に教え与える心のことを指します。
無畏施は、悩み相談など不安な心から善導してあげる心のことを言います。
皆さんのイメージしている布施は「財施」のこと。
私たち僧侶の話は「法施」ということになります。
無財の七施
財施をするには物資が必要です。
しかし誰でも出来る布施というものがあるのです。
それは「無財の七施」というものです。
- 和顔施…柔和な笑顔で人々に接する心のこと
- 愛語施…優しい言葉や敬語など、人々を尊敬する心のこと
- 慈眼施…労りや優しさで見つめる眼差しや心のこと
- 心慮施…人々の心を思いやり、よく理解してあげる心のこと
- 捨身施…人が嫌がることを率先して行う心のこと
- 床座施…目の前の人に席を譲ってあげる心のこと
- 房舎施…疲れている人に休憩場所を設ける心のこと
和顔施はたった一つの笑顔、愛語施はたった一つの言葉です。
「お疲れ様」「ありがとう」などと言われた時は心が落ち着きませんか?
それが施しを受けている状態であり、また誰かにしてあげることで自ら施しが出来るようになるのです。
三輪清浄
布施にはもうひとつ大切な教えがあり、それを「三輪清浄」といいます。
これは『布施をする人・布施を受ける人・布施するモノ』それぞれが清らかなことでなければならないというもの。
反対にこの何れかに執着してしまうと、布施の意味はないといえます。
小僧の布施
財施は物資が無いので無理😥
法施はまだまだ修行中で分からないことだらけなので無理😥
ということは…無畏施なら出来そうです。
善導までは出来なくても皆さんのお話を聞くことなら出来そうです。
ぜひ聞いてほしい悩みなどありましたら、いつでも小僧に声をかけてください!
心よりお待ちしています!
今、春のお彼岸の真っ只中です。
おそらく多くの皆さまが先祖供養をされていることでしょう。
故人に対してお供えものをすることが布施波羅蜜となります。
お供えという行いを通して、正しい布施行の修行をさせて頂いているのでしょう。
小僧合掌