8.十三日間の坐禅行
二十七歳になられて禅師は永覚和尚の下で、教えに従って十三日を限って、昼夜を分かたず寝食も忘れ坐禅に打ち込まれました。 すると二日目には夕暮れ時のような気持になられ、三日目を迎えますと、急に体中が軽くなり、澄み切ってきまし...
二十七歳になられて禅師は永覚和尚の下で、教えに従って十三日を限って、昼夜を分かたず寝食も忘れ坐禅に打ち込まれました。 すると二日目には夕暮れ時のような気持になられ、三日目を迎えますと、急に体中が軽くなり、澄み切ってきまし...
まず杭州の接待寺で雪関和尚にお目にかかって禅問答され、ついで龍樹寺で雪松法師の楞厳経の講義を聞かれましたが、悟ることができず悶々とした気持がますばかりでした。 ある日修行仲間の禅友にそのことを打ちあけられました。 と。す...
ある日の夕暮れ、坐禅しておられますと、にわかに金色の蓮の花から何ともいえない香りが漂って来て弥陀庵いっぱいにあふれ、禅師の身も心も晴れ晴れとし身体じゅうから白い汗が雨のように噴き出してきました。 禅師が、これは決して仏の...
その頃のある日のこと、禅師がたまたま市街に出かけられていますと、市場で長さ四尺(一尺は明時代では三十一・一cm)ばかりの大亀が売りに 出されていました。 禅師はすぐにお銭を払って亀を買い取り、河に放ってやられますと、亀は...
しかし仏教の学問だけでは、まだどうも物足らぬところがありましたので、十八歳の時、寺の北山の獅頭岩に登って独りで坐禅し、一日三枚の柿餅だけで飢えをしのがれました。 坐禅を始めて三日目に一人の神人が月光の中に現われて、 「私...
十歳の頃、たまた温かが観音菩薩の名号を唱えているのを聞かれて深く感動され、それからは肉食を断ち、自分でも観音菩薩の名号を唱えられるようになられました。 十三歳の年には同じ郡內の開元寺に参詣され、仏殿にはいって本尊さまを礼...
木庵禅師がご誕生になったのは、中国の明時代も終りに近づいた頃の皇帝・神宗の萬暦三十九年二月三日で、日本では後水尾天皇が天子の御位に即かれ、徳川家康が二代将軍秀忠とともに次第に徳川幕府の基礎を固めつつあった時でした。家康は...
京都の南の郊外。宇治の里は、平安朝時代から貴族の別荘地として知られていました。今、この地訪づれてみますと、そこには当時の栄華を誇る平等院の殿堂や、寺社の面影を髣髴とさせる幾多の遺蹟を見ることができます。そのなかにあって、...
皆様私、恩林住職 古田正彦と申します。 永年和尚さんをしていてもなかなかお説法というものは巧くならないものでございます。 少しでも勉強してひとさまのお役に立ちたいと思いながら、大した活動もせずにおりましたところ、このほど...