幸せの青い鳥を探し続けている恩林寺の小僧です。
「幸せ」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?
おそらく、多くの人が「お金」「キャリアでの成功」「理想のパートナーとの結婚」。
そういった、何かを「手に入れること」や「築き上げること」が幸せだと考えているのではないでしょうか。
しかし、もしそうだとすれば、私たちは一生走り続けなければならないのでしょうか?
目次
毎日を忙しく生きるあなたへ
目標を達成した瞬間は、素晴らしい喜びを感じます。
しかし、その喜びはどれくらい続くでしょうか?
やがて、次の目標を見つけ、また一から努力を始める。
そんな無限のサイクルに、少し疲れていませんか?
仏教の教えは、まさに「幸せを築く」という生き方から、「幸せに気づく」という生き方への転換を促すものです。
「幸せを築く」生き方の本質
仏教では、私たちが「幸せを築く」ために追い求めるもの。
例えばお金、名声、地位、愛する人などは、すべて「無常」であると説きます。
つまり、常に変化し、いつか必ず失われてしまうものです。
「お金があれば幸せになれる」 「成功すれば満たされるはず」 「あの人と一緒なら安心だ」
このように、外側の対象に幸せを求め、それを手に入れようとする行為。
それを仏教では「渇愛」と呼ばれます。
「喉が渇いた人が水を求めるように、永遠に満たされない欲望」という意味です。
この渇愛が、すべての苦しみの根本原因であると釈迦は教えました。
なぜなら、私たちが築き上げたものは、やがて必ず崩れるからです。
それが崩れたとき、あるいは築けなかったときに、私たちは苦しみを感じます。
これが、「どこか満たされない」感覚の正体です。
なぜ「幸せを築く」生き方は、幻想にすぎないのか?
私たちは、お金や成功、愛といったものを「確固たる実体」として捉えがちです。
そして、「それさえあれば、永遠に幸せになれる」と信じて、必死に追い求めます。
しかし、仏教の教えでは、私たちが「実体がある」と信じているもの。
それは、実はすべてが相互に依存し、常に変化していると説きます。
したがって、「幸せを築く」という行為は、まるで水面に家を建てようとするようなものです。
いくら頑張っても、その土台は常に変化し、いつか必ず崩れ去ります。
これが「無常」であり、「空」の思想が私たちに教えてくれる真実です。
「幸せに気づく」生き方
仏教における「幸せに気づく」とは、単にポジティブ思考に切り替えることではありません。
それは、苦しみの根本原因である「渇愛」から解放され、内なる平和に到達することを目指します。
「当たり前」に感謝する練習
私たちは、日々の暮らしの中で、あまりにも多くの「当たり前」に囲まれています。
例えば、朝目が覚めること、温かい布団、美味しい食事、雨をしのげる家、愛する人との会話など、数え上げればきりがありません。
しかし、私たちはこれらを「当たり前」と捉えすぎて、その価値に気づけずにいます。
それゆえに、まずは毎日、小さなことでも良いので、「今日あった良かったこと」を3つ書き出してみる習慣をつけましょう。
といった些細なことでも構いません。
この習慣を続けることで、自然と日々の生活の中に隠された幸せを見つけられるようになります。
「足るを知る」
これは仏教の「足るを知る」という考え方に通じます。
「今、自分に与えられているものだけで十分である」と心から納得することです。
私たちは常に「もっと、もっと」と求めますが、仏教は、すでに満たされている状態に気づくことが、本当の心の豊かさにつながると教えます。
「今」に集中する
現代社会では、私たちは常にマルチタスクに追われています。
そして心は過去の後悔や未来への不安にさまよいがちです。
その結果、「今、この瞬間」に起きている素晴らしい出来事や、心穏やかな瞬間を見過ごしてしまいます。
そこで、マインドフルネスを試してみませんか。
すなわち、過去や未来のことは一旦横に置き、今の呼吸、足の裏の感触、聞こえてくる音など、五感を使って「今」に意識を向けます。
たったこれだけのことで、あなたは目の前にある一瞬一瞬が、どれほどかけがえのないものかに気づくことができるはずです。
「サティ(念)」の実践
先ほど触れたマインドフルネスは、仏教の「サティ(念)」と呼ばれる実践そのものです。
「サティ」とは、「今、この瞬間に意識を向けること」を意味します。
過去の後悔や未来の不安から離れ、目の前の現実をありのままに観察する。
そのことで、心が穏やかになり、無常の真理を理解する手がかりを得ることができます。
「比較」の癖を手放す
SNSを開くと、他人の華やかな生活が目に飛び込んできます。
けれども、忘れてはならないのは、SNSに投稿されているもの。
それは、その人の人生のほんの一部、つまり「ハイライト」にすぎないということです。
したがって、他人の幸せを自分と比較して落ち込むことは、全く意味のないことです。
今日から、SNSを見る時間を減らしたり、自分の人生の価値観を見つめ直したりしてみましょう。
あなたはあなた自身のペースで、あなただけの幸せを歩んでいます。
「分別」から離れる
「比較」や「競争」は、仏教でいう「分別」から生まれる苦しみです。
「分別」とは、物事を「良い/悪い」「好き/嫌い」「自分/他人」と二つに分けて考える心の働きです。
この分別がある限り、私たちは常に優劣をつけ、苦しみが続きます。
分別を手放し、他者との比較をやめることは、仏教の重要な教えの一つです。
「空」の思想がもたらす究極の幸せ
「空」の思想を理解することは、私たちを苦しめる「執着」から解放される第一歩です。
私たちが苦しむのは、「永遠に続く幸せ」という幻想を追い求め、それが手に入らない。
あるいは失われるときに「実体があるはずのものが失われた」と感じるからです。
しかし、すべては「空」。
もともと固定された実体などなかったと理解すればどうでしょうか?
この理解が深まると、私たちは「物事のありのままの姿」を受け入れることができるように。
雨が降れば「雨が降っているな」
風が吹けば「風が吹いているな」
ただそれだけをありのままに認識する。
良いことも、悪いことも、「ただ起こっていること」として受け入れることができます。
この境地にたどり着くと、心が揺れ動くことが少なくなります。
外の状況に振り回されることなく、どんなときも穏やかな心の状態を保つことができます。
これこそが、仏教が目指す幸せ、すなわち「涅槃」へと通じる道なのです。













「幸せに気づく」という生き方は、単なる心の持ち方の問題ではありません。
それは、「苦しみの原因を理解し、そこから解放される」という、仏教の根本的な教えに基づいた実践なのです。
私たちが本当に目指すべき幸せとは、外部の条件に左右されるものではなく。
どんな状況であっても揺るがない、心の内側から湧き出る「安らぎ」です。
そして、その安らぎは、欲望を手放し、今あるものに感謝し、一瞬一瞬を大切に生きることで、初めて見出すことができるのです。
私たちは、今この瞬間も、無数の「空」の出来事に囲まれて生きています。
小僧合掌🙏