頭陀袋165 令和8年3月号

恩林寺山門前の子安地蔵尊
恩林寺山門前の子安地蔵尊

不躾ながら申しあげます

不躾ぶしつけながらと申しますと『失礼も顧みず』とでも申しましょうか。
躾がなっていないかもしれませんが一言申し上げます…と解釈しましょうか。
さて、日本では古来、この躾が大切とされてきました。
躾とは仏教でいう礼儀や作法をきちんと身に着けさせることです。
躾がされていないのが不躾であり、不躾な人は社会に受け入れられませんでした。
不躾な態度をとったり、不躾な質問をすれば今の社会でも嫌われるでしょう。

江戸時代から伝わる教育の節目

江戸時代のことわざに「三つ心、六つ躾、九つ言葉、ふみ十二、ことわり十五で末決まる」というのがあるそうです。
生まれた子供を順に大人として教育する過程を見事に言い表していると思いませんか。
三の倍数が五個取り上げられ、十五歳までに、行く末が決まる、というのもよくできています。

幼年期における親の責任

この中の二つ、つまりは六才までに心と身のあり方が決まるというのですから、親たるものの責任は重大です。
今の時代なら就学前に、よく育つか、悪く育つか、方向付けられるということです。
学校のせいではありません。
最近の犯罪の低年齢化を見るに問題視されるのは『善心が育てられていない』『躾がされていない』という幼年期の教育欠如が問題となっています。

三つ子の魂と親の背中

「三つ子の魂。百まで」
昔の人は赤ちゃんのときから成長(心と体)を両方から見守っていたのです。
子供は、親の真似をして育ちます。
古い話ですが、私らの田舎でも縁談があると、「娘の親を見ればわかるじゃろう。」とお年寄りが言っておりましたが、なるほどと思えることです。

芸事・武道と気品の習得

それに私たちのお師匠様はこんなことを申されました。
「いくつになっても習い事は大切です。お花の稽古、お茶の稽古、剣道、柔道。お稽古は技術の習得だけでなく、言葉づかい、礼儀といったこと、その道に入れば仕草まで、身についてきます。その先は、気品という、目に見えないものまで備わってくるものです」と。

昭和の和尚、下岡本を語る

私の家の隣はかっちゃんの家で、彼は四人兄弟の二番目、男の子は一人だったので、小さい頃から二人はよく遊びました。
母屋の横の馬小屋の二階は藁を積んであり、そこはかっちゃんとの秘密基地でした。
足下がスカスカするなあ、と気が付くといつの間にか寝込んでしまい。昼寝が長過ぎて日が暮れていたこともあります。
戦後の下岡本は どの家にも馬か牛が飼ってあり、農作業の担い手でした。
勝ちゃんちの馬は人懐っこくて鼻のあたりをこすってやるととても喜びました。


私は仕事の関係で、四十年近く家から離れていましたので、和尚になって戻ってきてから、わずかのうちに彼は事故で亡くなってしまいました。
かっちゃんが死んでからもう何年になるの?
うん。
もう二十年近くになるかなあ。と奥さんの答え。
今頃まで元気なら、まだまだ語ることができたのに。
昔を語る相手もいなくなったなあ。

古田住職

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUT US
アバター画像
古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。