心とは ~法句経からの解釈~
釈尊は「人の心は陸に釣り上げた魚のようにピチピチとして跳ね、あがき、少しもじっとしていない」と説き、心は捉えることが難しく、落ち着きがなくてしたい放題に暴れる厄介者と考えました。
日本人も心のありさまを色々な言葉で表現しています。
例えば、心が騒ぐ。心ならずも。心を焦がす。心に付く。心にあらず。心の置き所なし。心も上の空。心をもむ。心うつり。心せわしい。心ばかり。心もとない。等どれもこれもあやふやなもののようです。
つまりは心とは落ち着きがなく、束縛されることが嫌いで一人放浪し、正体のはっきりしないものです。
キリスト教では「原罪」と言って心の正体は悪であると言い、中国では孔子や孟子は「善」だと説きましたが荀子は「悪」だと説きました。
法句経では物事は心に基づき、心を主とし、心によって作り出される。
もし、汚れた心で話したり、行ったりすれば苦しみはその人に付き従う。
車を引く牛の足あとに車輪の跡がついていくように。
物事は心に基づき心を主とし心によって作り出される。
もし、清らかな心で話したり、行ったりするならば、福楽はその人につき従う。
影がその人の体から離れないように。
今月は少し難しくなりました。
しかし、時間があれば、何度か繰り返し読んでみてください。
少し賢くなったような気がします。
次号から少し心を分析してみましょう。
和尚の昭和、下岡本を語る
私たちの子供の頃の履物は夏は短靴、冬はゴム長靴でした。
運動会でも運動足袋など履きません。
運動会の前日、みんで横並びになり石を拾って準備をしました。
教室での上履きは藁草履でした。
権左(屋号)の爺様と治良助の爺様は兄弟だそうでどちらも余暇に藁草履を作り、皆が買いに行きました。
上等の草履には布(きれ)が編み込んであり長持ちしそうでした。
普段は川に遊びに行くとき、かっちん玉や拳遊びをする時はゴム草履でした。
ゴム草履は山でも、川でも履きやすいものでした。
余談ながら、今は姿を見ませんが黄檗山(私共の宗旨)では遅くまで雲水さんの履物でした。
治良助の道端には味噌豆を蒸す竈があり村の人に頼まれて、ババ様が味噌豆を蒸かしていました。
味噌豆ができると各々家に持ち帰り、石臼や餅憑き臼で潰し野球のボールぐらいの味噌玉を握り、囲炉裏の上に作り付けの棚があり、そこに並べて燻します。
これを味噌桶に移し塩加減を整え味噌を仕込みます。
一冬寝かすと湿っぽくなりますので時々かき混ぜ、竹で編んだ笊を沈め、醤油を取ります。
こうしてできた味噌は桶から出したものを小さい甕に小分けして味噌汁を作るとき、すり鉢で摺り汁に加えます。
我が村の秘伝は大根漬け、にたく(切り漬を煮たもの)と、まだ色々あります。
詳しくは昭和の姉さまたちにお聞きください。
住職合掌