自分の心とは (続き)
さて頭陀袋153号に続き、心の在り処を探してみましょう。
お母さんについて思い起こしました。
あの時こんなことがあったなあ。
こんなお世話になったなあ。ありがたいなあ。
ここです。
お世話になったなあ。は記憶です。
ありがたいなあ。
これこそがあなたの心の本体、あなた自身そのものです。
頂いてありがたい。
その心は五感を通じて自分の血となり肉となって、今、ここにあるのです。
こうした自分を素直に感ずるために、座禅があり、内観があるのです。
いつもなるべく自分をニュートラルにしておく。
春風を快く感じ、野に咲く花が素敵に見える。
あっそうか。
小さい気付きが自己改善のきっかけになる。
まさにこれがお坊さん方の言われる悟りなのかもしれません。
小さい悟りをたくさん経験するうちに大悟という自分を大改革するチャンスが巡ってくるかもしれません。
昔の偉いお坊さんは竹にカチンと石が当たる音を聞いて、はっと悟りが開けたと言われています。
小さい気付き、小さい悟りを重ねているうちに、ふとしたきっかけが大きな幸せを運んでくるということでしょう。
私も正宗寺東堂(御隠居)様にお世話になりました。
沢木興道老師の話・アメリカ布教の体験・近所の檀家さんとの世間話など、永年の体験や人脈によって見たこと聞いたことを惜しげもなく話してくださいました。
3月20日一周忌を迎えられます。
改めてご法愛を感謝いたしております。
和尚の昭和、下岡本を語る
現在中山地区といえば、中山町、下岡本町の一部ですが、そもそも上岡本、下岡本というのは小糸坂辺りから冬頭町に渡る丘陵地帯になります。
丘陵にはいくつかの洞があり、一番深い洞は長洞でした。
そこは戦中に開墾が進み、村の人たちの野菜畑でした。
民家は一軒もなく作業小屋が三~四ケ所、建物といえば鍋島商店の火薬庫、それに山田トンネル近くにマリアン道場(新宗教)の施設があるだけでした。
母と一緒に肥桶をリヤカーに載せて、長洞の畑へ行く。
これは兄弟が多い中で自分が母親を独占できる時間でした。
長洞は白菜、大根などがよく育ちました。
冬を迎えると畦を深く掘り青い杉葉を敷いてネズミ除けとし、白菜の頭を下に土を深くかけて保存したものです。
道路の近くに炭焼き小屋もありました。
普段、私たちの家では炭俵に入った切り炭を炬燵やコンロに使いましたが、ここでは三尺余りのホタ木を焼いておりました。
今ではすっかり姿を変え、学校や幼稚園の道路となり民家も沢山でき、時代の変遷には驚かされます。
昔から中山地区は熊や猪等の獣害の少ない場所で、現在も鹿が山門の辺りまで降りてきますが「車が出入りするで、危ないよ。」と言って注意すると、こちらを見て帰っていきます。
よく見ると、動物もかわいい顔をしております。昔の動物もそうだったのかなあ?
犬と同じように鹿も人の言うことがわかるのでしょうか。
住職合掌