「火も涼しくなる」は本当?

心頭滅却
心頭滅却

暑くて溶けそうな恩林寺の小僧です。

テレビから流れる気象予報士の「猛暑日になるでしょう」という言葉。
それに、思わず心の中でツッコミを入れている方も多いのではないでしょうか。
平然と告げられるその一言に、「この暑さを過ごす私たちの身にもなってみてほしい!」と。
「もう少しお手柔らかに!」と懇願したくなります。
しかし残念ながらこの暑さはしばらく続きそうです。

「火も涼しくなる」は本当か?戦国武将と禅僧が伝えた心の境地

心頭滅却すれば火も自ら涼し」この言葉を聞いたことがありますか?
夏の暑い日にこの言葉を聞くと、どこか涼しさを感じさせる不思議な響きがありますよね。
しかし、本当に火が涼しくなるなんてことがあるのでしょうか?

今回は、戦国時代の名将・武田信玄にゆかりのある禅僧・快川紹喜かいせんじょうき
それと、遠く中国の唐代に生きた詩人・杜筍鶴とじゅんかくの逸話を紐解いて。
この深遠な言葉の真意に迫ります。

武田信玄と快川紹喜の絆

まずは、この言葉に深く関わる日本の歴史から見ていきましょう。

武田信玄

戦国時代の名将といえば、言わずと知れた武田信玄。
甲斐国(現在の山梨県)を治めた戦国大名です。
その圧倒的な強さから「甲斐の虎」と称され、戦国時代最強と評されました。
織田信長でさえも恐れたと言われています。

快川紹喜和尚

そんな信玄が深く敬愛していたのが、臨済宗の禅僧、快川紹喜和尚でした。
快川和尚は俗姓は土岐氏で、美濃国の出身といわれるが、別説も。
禅僧として生前に正親町天皇おおぎまちてんのうより「大通智勝国師だいつうちしょうこくし」の国師号を賜った、非常に高名な人物。
信玄は快川に「機山」の号を授けるなど、師として仰いでいたことが知られています。

炎上する寺と「心頭滅却」

しかし、武田家は信玄の死後、残念ながら跡を継ぐ者が途絶えてしまいます。
織田信長(またはその嫡男である織田信忠)は、武田氏の残党を徹底的に排除する方針。
そこで、恵林寺に対し、匿っている残党の引き渡しを要求しました。

しかし、恵林寺の住職であった快川紹喜は、彼らを引き渡すことを拒否しました。
寺は基本的に聖域であり、いかなる理由であっても難民や逃亡者を保護するという側面があったため、安易に引き渡すことはできなかったと推測されます。
この拒否が天下統一を目指す信長の権威に対する挑戦と受け取られ、信長は激怒しました。

そこで織田家は恵林寺を焼き討ちにするという残酷な命令を下します。
そして、快川和尚は多くの僧侶たちと共に、燃え盛る恵林寺の中で最期を迎えることになります。
その壮絶な最期の瞬間、紹喜が残したとされる辞世の句が、まさにこの言葉なのです。

快川紹喜和尚

安禅不必須山水 滅却心頭火自涼
(安禅必ずしも山水を用いず 心頭滅却せば火も自ら涼し)

これは、「座禅をするのに、必ずしも静かな山や水の景色は必要ない。心が無となれば、火でさえ涼しく感じられる」という意味に解釈されてきました。
燃え盛る炎の中で、禅僧がこのような言葉を残した。
そう聞けば、その精神力にただただ圧倒されますよね。

しかし、実はこの言葉、快川が詠んだものではありません。
さらにその源流をたどると、別の時代の、別の人物の存在が浮かび上がってきます。

猛暑日の座禅?唐代の詩人が見た禅僧の姿

時は遡ること、中国・唐代。
一人の詩人、杜筍鶴という人物がいました。
ある猛烈な暑さの日、彼は悟空上人という高僧の姿を目にします。
その時の悟空上人の様子を詠んだ詩。
「夏日、悟空上人の院に題す」が、あの有名な句の元になっているのです。
その詩の全文がこちらです。

杜筍鶴

三伏閉門披一衲 兼無松竹蔭房廊
安禅不必須山水 滅却心頭火自涼

三伏門を閉じて 一衲を披く 兼ねて松竹の 房廊を蔭う無し
安禅必ずしも山水を用いず 心頭滅却せば火も自ら涼し

この詩を現代語にすると、次のような情景が浮かび上がってきます。

一年で最も暑さが厳しい『三伏』の時期に、悟空上人は門を閉ざし、分厚い法衣をしっかりとまとっている。
さらに、強い日差しを遮る松や竹の木も、彼の住まいにはない。
しかし、彼はそんな環境の中でも、ひたすらに修行に励んでいる。
修行を行う上で、必ずしも山や川といった静かな場所は必要ないのだ。
なぜなら、暑いと感じる心を一切無くしてしまえば、火ですら涼しく感じられるからである。

悟空上人は本当に涼しかったの?

この詩を読むと、悟空上人がどれほど立派な修行僧であったかがよく分かります。
想像してみてください。
真夏の猛暑日、厚い衣を身につけ、日差しの下にいるにもかかわらず、平然と座禅を組む姿を。
私たちが同じ状況に置かれたら、おそらく熱中症で倒れてしまうでしょう。
しかし、当の悟空上人は「暑さすら涼しく感じる」と言い放っているのです。

果たして本当にそうなのでしょうか?
心を「無」にすることで、暑さが涼しさに変わるなんて、にわかには信じがたいですよね。
一体、「無にする」とはどういうことなのでしょうか?
そして、「滅却」という言葉には、どのような意味が込められているのでしょうか?

「無」と「滅」の決定的な違い

禅の教えの中で、「心を無にする」という言葉をよく耳にします。
座禅をする際、「雑念を払って心を空っぽにしましょう」と言われることも多いです。
しかし、実際に座禅を組んでみるとどうでしょう?
「暑いな」「お腹が空いたな」「早く終わらないかな」
そんな欲や雑念が次から次へと浮かんできて、なかなか心を空っぽにするのは難しいものです。

実は、「無にする」と「滅却する」は、似ているようで異なる意味を持っています。
この違いを理解することが、「心頭滅却すれば火も自ら涼し」という言葉の核心に迫る鍵。

「無」とは?

無は「存在しないこと」または「最初から何もない状態」を指します。
存在そのものの否定。概念的に、あるいは抽象的に何もない状態。
「無」は、必ずしも何かが消滅した結果を指すとは限りません。
元々そこになかった状態、あるいは概念的に存在しない状態を表すことが多いです。

「滅」とは?

滅は「存在していたものが、何らかの過程を経て、消え去ること」を指します。
存在から非存在への変化。消滅の過程や結果。
「滅」は、「かつて存在していたものが、もはや存在しなくなる」という変化の側面に焦点が当てられます。
何かが終わりを迎える、あるいは完全に姿を消すというニュアンスが強いです。

「滅却」が指し示す心の境地

「滅却心頭火自涼」という禅語に用いられている「滅却」は、「滅する」という意味合いを持っています。
しかし、これは単に何かを消し去るという意味ではありません。
ここでは、「滅却」が指し示す心の境地について詳しく解説します。

執着の消滅としての「滅却」

「滅却」が指す「滅する」とは、具体的には私たちの執着を滅することです。
執着とは、特定の物事や感情、思考に強く囚われ、それらを手放せない状態を指します。

  • 物質への執着: お金、財産、地位などへの執着。
  • 感情への執着: 怒り、悲しみ、喜びといった感情に囚われ続けること。
  • 思考への執着: 固定観念や過去の経験に囚われ、新しい考え方を受け入れられない状態。

これらの執着が、私たちを苦しめ、心を乱す原因となります。
「滅却」とは、そうした執着を認識。
そして、それらを手放すことで、心の平静を取り戻すプロセスなのです。

「滅却心頭火自涼」における「滅却」

「滅却心頭火自涼」という言葉は、まさにこの「滅却」の境地を表しています。
心頭とは「心」そのものを指し、火が燃え盛るような困難や苦境の中でも、心が執着から解放されていれば、その熱さ(苦しみ)すら涼しく感じられるという意味です。

これは、実際に熱さを感じなくなるというよりは…。
心の持ちようによって、苦境に対する感じ方が大きく変わるということを示唆しています。
執着が滅却された心は、どんな状況下でも動じることなく、冷静でいられるのです。

「無」と「滅」

もし完全に「無」の状態であれば、「涼しい」という感覚すらも存在しないのかもしれません。
喜びも悲しみも、暑さも寒さも、あらゆる感覚が消え去った境地が「無」の状態でしょう。

しかし、「滅却」は、そうではありません。
外界の状況を否定するのではなく、それに振り回される心の中の反応を鎮めることを意味しているのです。
景色や環境に左右されることなく、ありのままを受け入れる。
そして、その受け入れた事実に対して、心が余計な反応を起こさないようにする。
これこそが、座禅をする上で最も大切なことなのだと、快川紹喜も、そして杜筍鶴も、私たちに教えてくれているのです。

火を涼しくする心の力

「心頭滅却すれば火も自ら涼し」という言葉は、決して物理的な火が冷たくなるということを言っているのではありません。
それは、私たちの心が外界の事象にどう反応するか、その心のありようがいかに重要であるかを説いているのです。

暑いという事実をありのままに受け入れ、それに対する苦しみや不快感といった心の雑念を「滅却」する。
そうすることで、どんな過酷な状況下でも、心穏やかに過ごすことができるという、禅の教えの深遠さを表しています。

小僧さん

私たちも日々の生活の中で、ストレスや困難に直面することが多々あります。
そんな時、状況を変えられないならば、せめて自分の心との向き合い方を変えてみる。
そうすることで、まるで火が涼しくなるかのように、状況に対する感じ方が変わり、新しい視点や解決策が見えてくるかもしれません。

あなたの心は、今、何を感じていますか?
そして、その感情に、どのように向き合いたいと思いますか?

小僧合掌🙏

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恩林寺の小僧さん
檀信徒の皆さんに『一休さん・小僧さん…』様々な愛称で呼ばれております、鳳雅禅士です。「一日一善」を心がけながら、日々精進していきます。感謝・合掌。