経本とは
確か小学五年の時だったと記憶しておりますが、そのころは戦後の復旧の時代で各お寺さんでも梵鐘の再鋳、本堂の屋根葺き替えなどの大法要が相次いで行われました。
ある時、東山の大きなお寺での法要の招待があり、和尚が所用で出られなくなり代理に私が参列させてもらうことになりました。
黒の麻衣に黒の洛子(袈裟)、緊張して登山。
控えの間にはたくさんのお坊様方が並んでおられます。
私は顔見知りの和尚さんの末席に座らせて頂きますと、次に経本が手渡されます。
恭しく経本を受け取ると、隣の和尚さんに倣って膝前に置いた瞬間、
「こら~。どこに置くんじゃ。もったいない。馬鹿者~。」の大音響。
気が付くと五条を身に着けた坊様が目の前に仁王立ち。
あまり見たことの無い坊様。
つまりは、大切なお経の本を人が足で歩く畳のうえに置くことは、けしからん。
ということであったが、周りは一瞬にして対応。
この時は、どうも釈然としない。
見せしめのためにお叱りを受けたのか。
気分悪いなあ。
などと受け止めていたのですがその後、何年かの後、禅の本を読んでわかったこと。
昔の禅宗の偉い坊さんは、修行中の雲水さんが仏法ぎりぎりのところ本物の仏法を求めてきても本人がそこまでの域に達していないとみれば、追い返すとか棒でたたいたりしたという。(三十棒、六十棒とかいう)
これも親切というもの。
ぎりぎりのところは紙に書いたり、言葉で説明しても伝わるものではない。
以心伝心。
馬鹿者~。の五条坊様、小僧を叱るにも、躊躇いもあったろうに、ようこそ注意してくれたものと、後になっては申し訳ないのですが、その勇気と親切に感謝をしている次第です。
和尚の畠(専農?(洗脳)脳業)こぼれ話
今年は毎日、暑い日が続き、畑仕事もサボりがち。
草茫々の茄子の畑も意外と成績がよく、もう、秋茄子がうまい時期になりました。
先代和尚は、茄子が嫌いでほとんどたべなかったのですが今和尚は(アキナ)でなく秋茄子が大好き。
茄子の味噌煮など、かつおの刺身よりうまい。
まさに秋茄子は嫁に食わすなの言い伝えの通り、天然の恵みですナア。
昭和の和尚、下岡本を語る
毎年、秋になると(富山の薬売りの爺さんが三段行李を大風呂敷に包んで)「皆さんどうしておられますけえ。また薬の箱見せてもらいに来たがやちゃ。」
独特の外国語(富山弁)で配置薬の訪問です。
春先にも爺ちゃんは来るのですが、どうも秋の訪問のほうが印象深いです。
我が家にも配置薬の紙袋が二つ。
赤い箱の引き出しになったのが一つ。
大事な配置薬の得意さんです。
少しぐらいの風邪は、入れ薬の頓服。擦り傷ぐらいなら赤チン。
腹痛なら百草丸、医者に行かずに自宅で対応したものです。
少し上等な薬が欲しい時は本町通りの西野薬局、川とら薬店へ行きました。
涅槃忌の涅槃団子は自家製でしたので食用色素は伊藤松太郎薬局まで出かけました。
入れ薬の爺ちゃんのおまけは紙風船でした。
子供の数だけおまけをくれる。
ずっと昔からのお付き合いのように対応はうまいものでした。
大新町の西村ばあちゃんはタラの干物、昆布など日持ちの良いものをコウザ(竹で編んだ背負い籠)に入れて売りにきてくれました。
まさに現代でも通用する訪問販売の先駆けでした。













住職合掌