二十七歳になられて禅師は永覚和尚の下で、教えに従って十三日を限って、昼夜を分かたず寝食も忘れ坐禅に打ち込まれました。
すると二日目には夕暮れ時のような気持になられ、三日目を迎えますと、急に体中が軽くなり、澄み切ってきました。公案(禅の問題)と自分が一つになって、振り離そうとしても振り切れません。
そして満願の十三日目の夜を迎えました。
坐禅の席から立ち上がり皆なの後に随いて歩いておられますと、仏壇の灯火が焔をほとばしらせ自分がその灯火の影の中を行く姿を見つめているように覚えました。その時、心が広くからっと晴れて来て、これまで心にわだかまっていた何物かに触れたように感じました。
この何物かがハッとしてわかってしまうと、重い鉄枷をはずされた時のように心が軽くなって、その軽快さといったら何物にも愉えることができませんでした。
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