沢庵禅師について
沢庵禅師は安土桃山時代から江戸時代初 めまで生きた名僧として知られています。
妙心寺、大徳寺の紫衣事件という法難に逢い流罪となりますがその後、長年の友、柳生但馬守らとともに三代将軍、家光公の側近となり、将軍の勧めもあり品川に東海寺を開きまわした。禅師と言えば沢庵漬け、そのいわれについていくつか紹介しましょう。
その一:将軍を戒める。
その二:沢庵禅師のお墓
沢庵禅師はいくつもの厳しい遺言を残しています。
「儂の法を継ぐものを指名しない。」
「儂の墓を作ってはならぬ。」 等です。
しかし、墓は作られました。東海寺から歩いて十分くらいの場所にあります。
墓石は沢庵漬けを作るときの重しに似ています。
この理由から沢庵和尚の漬物、すなわち「沢庵漬け」といわれるようになったと。
女子中学生の願い事
最近、嬉しいことが起こっています。恩林寺山門前に子安地蔵さんがお祀りしてあります。
夏休みが終わったころ、一人の中学生が登校、下校のときに拝んでゆきます。 その後、クラブ活動の仲間なのか、彼女の親友なのか、ふたりずれでお参りしてゆきます。ここ半月ぐらい、今度はクラブ活動が終わる夕方五時前後に、仲間、四~五人ずれでお参りしてゆきます。
つぎのテストのことか、クラブの試合のことか、いつも屈託なく楽しそうにしている彼女らを和尚さんは)『願い事がかないますように』と、ひそかに応援しています。
「沢庵和尚、余は近頃、何を食べても味がなくて困る。何かうまいものを食べたいのう。」
「上様、たやすいことでございます。 明日寺まで十時にお越しください。ただし、明日は拙僧が主人、上様は客人、中座 (途中ぬけ出し)しないとお約束ください。」
翌朝、家光公は小姓二人を連れてきた。
「まずは茶室へどうぞ。天下無双の御馳走を用意します。しばらくお待ちを。」
昼の一時になっても和尚は来ない。茶室なのでお茶にお菓子が一つ。
主従とも喉は乾き、腹は減る。二時を過ぎてもまだ来ない。
儂はもう我慢できん。中座しないと約束はしたが、これはおかしい。
まさに立ち上がらんとしたとき
「上様、手製の料理どうぞご賞味ください。」なんと、お茶ずけに黄色い漬物が二きれ。夢中で食べる家光・主従、空腹のためお茶ずけ三杯、漬物もおかわりする。
「この黄色いもの、美味じゃな。」「はっ。 大根の糠ずけにござりまする。」
日頃の家光公の美食三昧を戒める、沢庵和尚の無言の演出を、家光公は心にしみたようであった。以後、家光公は大根漬けを沢庵漬けと命名した。それまで禅宗寺院では貯え漬けとしていた大根漬けを出したまでのこと。大根漬けに適したものは、練馬大根(江戸、練馬産)宮重大根等といわれています。