朝に道を聞きかば夕に死しすとも可かなり(論語より)
「社長になって、この会社を優良会社に育て自分の銅像を会社の正門に建てるぞ。」と、言う新入社員がいればそれはそれで立派な事である。
「山に入って山小屋の小さいのを建てて、山男として生活する。山を離れて人生なんて考えられない。」という若者がいればそれはそれで素晴らしい。 どちらの若者の人生にしてもその本質においては人間性を豊かにしてゆくことを目標にしなければ、ガリガリのつまらない人生になってしまう。
人生は誠心誠意の中にある。周りの人達の幸せにために自分の全力を尽くしていく。どうしてもわからないときは道を聞いて学ぶことだ。
「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり。」
人間として思いやりの豊かな無心、無欲の人生を生きるならばこれに勝る宝はない。
高山東山、宗猷寺十世南裔(なんねい)和尚の書
私の手元に一本の掛け軸があります。それはわたしの先生であった表千家流林千代子先生の遺品であり、「朝に道を聞けば 夕に死すとも可なり」としたためられております。
南裔和尚は 播隆上人より早く笠ヶ岳を開いた方であり、隷書の達人であります。若い時はなかなか林先生のご意向に沿える事もなく過ぎてきたことを申し訳なく思うとともに、時々床に懸けては先生の遺言と感じるこの頃です。
三佛会(さんぶつえ)とは
お釈迦様の一生のうちつぎの三つをまとめ、三佛会と申します。(いずれも旧暦)二月は当地はまだ寒いので三月のお彼岸ころまで伸ばして勤める場合が多いのです。
一、お釈迦様のお生まれになった日 (四月八日)降誕会といいます。
二、お釈迦様のお悟りになった日 (。十二月八日)成道会といいます
三、お釈迦様の亡くなられた日 (二月十五日)涅槃会といいます。
住職合掌
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