頭陀袋052 平成28年10月号

すべては心によって作られる

たいていの人は小学校、中学校と進む中で 一身上の事について相談する場合、いつも一緒という親友をもっていたと思います。

周りの人も認めるほどの仲良しの友人が一人ぐらいはいたでしょう。そして、お互いに『この人ほどいい人はいない』とか、『あいつは気が許せる』と考え、あいてが学校を休むと何となく不安で一日がつまらなくなってしまいます。

ところが些細なことで喧嘩をしてしまい二度と口を利かないという犬猿の仲になったりします。そんな時は『あいつは、あんな奴だとは思わなんだ』 とか、『ひどい人間だ。』とか考えて相手を憎く思う心が募ってきます。

このように私たちは時には親しくなったり、時には憎くなったりする「心」をもっています。そうした意味でも、心とは全く厄介なものです。このことは楞伽経、華厳経などにも取り上げられています。このことは仏教において心の在り方がいかに重要であるかを強調されている証拠と言えます。な ぜかと言えば実は「心」を調整することが仏教の目的である(悟りを得ること)の出発点だからです。

私たちの心は実にさまざまなものを作り出し、しかもそれにとらわれて生きているのが真相です。たとえば、もっと金持ちになりたい、と考えた場合、 自分が金持ちになったことを想像していい気分になったとしても、ふと、我に返って今までと変わらない自分がそこにいるわけです。そんなとき、むなしい気持ちになって人生に対し絶望感すら味わうことになります。しかしその一方で自分が想像したかな生活を現実のものにすべく必死で努力する人もいます。このように心の在り方がそのまま人の生き方に反映されてくるものです。心はよいほうにもわるい方にも動きます。その心を調整してよい方に向かわせるのが仏教の修行です。体で調子の悪いところがあればお医者さんに診てもらいますが心はなかなかそうはまいりません。心は 体の外に出して直接診てもらうことができません。

中国の禅宗の初祖、達磨大師について以下のような話が伝わっています

達磨大師は少林寺で九年間、壁に向かって座禅を続けておりました。その間、誰が来ても弟子にしませんでした。ある日、慧可という人がやってきて入門を乞いますが、達磨は全く相手にしません。そこで慧可は刃物で自分の肘を切り落として決意のほどを示します。

そして「大師よ。私の心は不安定な状態です、お弟子にしてどうか安らかな心になるよう指導願います。」

達磨はこたえて曰く、「その心とやらをここに出しなさい。あなたのために安らかにしてあげましょう。」

また慧可は答えます。「心を求めましたが、どうしても手にいれることができませんでした。」

達磨曰く「慧可よ。あなたのためにすでに安らかにしましたよ。」

慧可はこの言葉により、忽然と悟りを開き、達磨の弟子になったというのです。慧可は達磨の法を継ぎ、中国禅宗の第二祖となった高僧です。心とは外へ取出し、目に見えるものではなく取り外しのきかないものです。 このようにつかみどころのない、様々な顔と働きを持つ心を人間は一人ひとり、皆が持っているのです。そしてその心をもっているのは自分だけであるような錯覚を起し他人の心のことを少しも考えません。

最近学校では、いじめの問題が大きく社会問題にまでなっています。友達から仲間はずれになったり、暴行されたりすることによって尊とい命を自ら断ってしまうという、痛ましい事件があとを絶ちません。テレビのインタビューを聞いていますと、親自身が子供の悩みに気付か無かったという例が いようです。事件が起こると、学校教育の在り方が問題となりますが、一番強いきずなで結ばれているはずの親ですら子供のことはすべてわかっているように思っていても実はほんとうの子どもの心の内を知ることはできなかったのです。このように、どの社会でもよく似た事件が起きているのです。私たちは災害などで他人が悩んだり苦しんだりしていると、その苦悩を理解したような気になるのですが、本当はわかっていなかったということを同様な事件が起きるたびに思い知らされます。人はそれぞれ違った心をもち、いろいろなことを考えて生きています。本当の心は確かに窺い難いものです。しかし、疑心暗鬼になる必要はありません。ただ、相手の心を少しでも知る。相手の身になって考える。そしてまず、自分自身が正しい心をもち正しく物事を見極めていこうとする心がけが大切ではないでしょうか。

(さんぽうの会、施本を参考にさせていただきました。)

●お寺からのお知らせ

九月十八日、歴代和尚追善法要、秋の彼岸永代祠堂法要を務めさせていただきました。今回はみなさん、運動会、稲刈りなど重なり、こじんまりとした法要でした。岐阜から正渓寺様、清見寺様、高山・宗猷寺様、 この夏、得度した鳳雅禅士がご参加くださいました。

●清見寺の庵主様(琵琶の尼様)

秋の彼岸法要においでいただきました清見寺の庵主様(琵琶の尼様)に来年もぜひ琵琶を聴く会をもよおしたいのでご都合つけてほしいとお願いしましたところ、快諾いただきました。来年度の行事予定発表のころまでには日時をうちあわせして発表い たします。お楽しみに。

●東山連合寺院、連合布教のお知らせ

高山市内ご門徒寺院様以外で作る東山連合寺院では毎年、各宗派の第一人者である布教師さんをおむかえして、お話を聞かせていただくことにしております。今年は、臨済宗、法華宗、黄檗宗の当番で、宗猷寺様のお世話で臨済宗の布教師さんをお迎えすることになりました。追って詳細はご案内いたしますが、十一月十八日、宗猷寺の観音法要に合わせ聴聞いたします。宗猷寺観音法要は三十三観音の仏像を参詣された皆さんに手渡しできるありがたい法要です。恩林寺の檀信徒のかたでご都合の つくかたはぜひお参りください。 法要には恩林寺住職も随喜させていただきます。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。