頭陀袋041 平成27年11月号

ありがとうの由来

私たちは日常、有難うという言葉を使いますね。”有難う”は仏教に由来する言葉です。そのもととなった話を紹介しましょう。

盲亀浮木(もうき、ふぼく)のたとえ

お釈迦様はあるとき弟子のアナンに問いました。

釈迦

アナンよ。お前は人に生まれたことをどのように思っているのか?

阿難尊者

はい、大変喜んでおります。

釈迦

ではどのくらい喜んでいるのかね?

かさねて尋ねられ、アナンは言葉に窮した。
するとお釈迦様は一つのたとえ話をされた。

釈迦

果てしなく広い海の底に、 目の見えない亀が居たとしよう。
その亀は百年に一度海面に顔を出す。 広い海には一本の丸太棒が浮いている。 その丸太棒には小さな穴が開いていて, 丸太棒は風のまにまに西へ東へ、また、南に北に漂っているのだ。
百年に一度浮かび上がるその目に見えない亀が浮かび上がった拍子に丸太棒の穴にひょいと頭をいれることがあると思うか?

阿難尊者

お釈迦様、そんな事はとても考えられません。

釈迦

絶対ない。と言い切れるかな?

お釈迦様はさらに念を押されると、

阿難尊者

何千年,何万年、何億年の間に、もしかしたら頭をいれるということがあるかもしれません。

釈迦

ところがアナンよ。
私たち人間が生まれるということはその亀が丸太棒の頭を入れるよりもむずかしいことなんだ。
ありがたいことなんだよ。

と、教えられています。

ありがたいということは、あることが難しいこと、めったにないこと。でも、人間に生まれることが難しいと言われても、気ずいたら人間でしたもんね。地球上には哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類、蝶、蟻、目に見えないダニなど百五十万種類の生物が混在しているといわれています。その中の人間、六十億人、日本人、一億二千萬人。
人間にしても生物の中のほんの一部です。ほかの生物でなくて、人間に生まれた。気の遠くなるような話です。

曹洞宗の修証義の一節、人身得ること難し、仏法逢うことまれなり。です。
今晩、寝る前に、独り言で唱えてみましょう。
人身得ること難し、仏法あうことまれなり、今、われら宿然のたすくるによりて、すでに受けがたき人身を受けたるのみに非ず、逢い難き仏法にあいたてまつれり。と。

九月二十日、秋の彼岸会、永代祠堂の法要 を務めさせていただきました。

今回は農繁期に加え、ほかでも行事が重なりまして、こじんまりした法要でした。

お経においでいただきしました尼僧様は、琵琶の演奏をされるとのことで、次回はぜひ、法話の代わりに琵琶を聞かせてください。とお願いしました。 お楽しみに、、、。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。