施食のはじめ (施食、慈悲)
ある僧が閑静な樹の下で一心に座禅して修行をしていた。すると樹のうえに猿が棲んでいて、僧が食事をしていたとき、食べ物がほしくなって樹から下りてきて僧のそばにやっきた。
僧が猿に残飯を与えると、かれは鉢の底まで舐めて、食べ終わると感心なことに水辺まで行き鉢をよく洗い、僧に返すのだった。
こうして何ヶ月か経ったある日、坊さんはうっかり食事を食べ残さずに鉢を空にしてしまった。猿は、当然施されると思った食べ物が 無いので大変怒り、僧の袈裟を奪ってズタズ タに裂いてしまった。此れにはさすがの坊さ んもカッとなり、杖で猿を打つと、当たり所が悪くて悶絶し、死んでしまった。するとそ ばにいた数匹の猿が寄ってきてかなしみ、死んだ猿を担いでお寺に運んで行った。
寺の住職は「此れは仔細なわけがあるのだろう。」と思い、寺内の僧を集めて、誰かそのわけを知らないか?と、たずねたところ、誤って殺してしまった僧が、前に出て、正直に話した。そこで、これから僧が食事をするときはその 一部を取りおいて動物や虫に施すようにした。
施食の慣わしはこうしたことから始まったといわれています。
お経にこのような言葉もあります。その飯、もし食せんと欲するとき、まず鉢中の飯を出して分かちて五分となせ。一分を路行に準擬す。飢人来たれば即ち是なり。一分を水中の衆生に施し、一分を陸地の衆生に施し一分を七世の父母および餓鬼の衆生に施せ。残りの五分を、足ると足らざるを問わず自らの食とせよ…と。
黄檗山のさば台
わが黄檗山万福寺の境内にさば台という石の台があります。是は修行僧たちの毎日の食事から、鳥や虫にも食事を施し、みんなが今日 一日、与えられた命を大切にしましょう。という隠元禅師の思いやりを今に伝えております。また、隠元禅師は若いころ、中国各地を 修行して歩かれたのですが、とらわれた鳥や獣を買い取って逃がしてやった。といわれて 居ります。万福寺の山門前には、放生池という池があり、人間に捉えられた魚を逃がしてやる目的で、放生会という仏事も伝統的行われております。
お寺からの一言
三月十六日 (日)涅槃会(ねはんえ)永代祠堂回向会を勤めさせていただきました。
涅槃会は申すまでもなく釈尊のおなくなりに なった(旧暦二月十五日)が新暦の彼岸のころになるので彼岸会とあわせてご供養することが多いようです。当日は、ご家族ずれの方、 お年寄りの方々はじめ沢山お参りいただきました。
岐阜からお越しいただいた和尚さんがたも高山に来るのが楽しみ、といっていただいております。こうしてお寺に出向いていただけること自体、ありがたいことであります。 つぎの行事の予定は六月末日、県内の黄檗宗の和尚さんたちにご協力いただき、お施餓鬼の法会を計画しております。 頭陀袋、第二十二号はお施餓鬼について少し 解説させていただきたいとかんがえております。
住職合掌