頭陀袋019 平成26年1月号

侍女離魂 (迷悟・自己)

中国に張鑑という人がいて、その末子に倩という美しい娘がいた。又、張鑑の甥に王寅という、美男子がおり、張鑑ははじめ、甥に娘の侍を妻にやろうと、約束した。しかし後で、気が変わり軍の幕僚に嫁がせることにした。これを聞いた侍は悲しみ、気が鬱ったあ まり病気になってしまった。

王寅もまた、叔父が約束を違えた事をうらみ、国を去って都に向けて旅だった。旅の途中、船に乗って数里を行ったところで、夜半に、岸の上から船を追ってくるものがいる。誰かと思って見れば、あの恋しい侍女である。王寅はすぐ手を差し伸べて彼女を船の中に導き、方向を変えて蜀の国に入り、一緒に暮らした。

それから五年の歳月が過ぎ、倩は一人の子供を生み、仲むつまじく暮らしていた。ある日、倩は夫に言った。「私たちは、こうして子供もできたことですから、里帰りして両親にお会いし、これまでの親不孝をわびて、天下はれての夫婦になろうじゃありませんか。」夫も、「其れがいい、そうしよう。」 と言うことで、いっしょに故郷に帰った。まず、夫の王寅が一人で張鑑の家に行き、国を出てから、倩と一緒になった行きさつを話し、親不幸をわびた。張鑑はその話を聞き、たいへんおどろいて、「へんなことを言うではないか。娘はお前が旅に出てからというもの、ずっと、奥の部屋に寝込んでしまい家から出たこともないぞ。」

しかし、王寅は其れを信じようともせず船に戻って妻と子を連れて義父の家の前に来たところ奥の部屋に寝ていた倩が出てきて彼らを出迎え、王寅が連れてきた倩と合体してしまった。

これは禅宗の無門関という本にある公案(坊さんの修行に出てくる宿題)です。

魂と胴体が離れて、また、くっついたことは、何を意味するのでしょうか?
王寅と一緒になった倩と、寝たきりの倩と、どちらが本当の自分でしょうか?
人間は時たま、自分を見失ったり、知らぬ間に別の自分がまよい出たりすることがあります。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。