世の中は『何でも自動化』されつつあり、便利な時代になりました。
自動車も自動運転ができるようになりつつあります。
扉も自動、改札も自動、有料道路もETC化にと、便利さばかりが目立っていますね。
掃除も同じで、ほうき・雑巾という学校で行ってきたものが自動掃除機になってきています。
そのうち、掃除の仕方を知らないなんて子供に言われたりする時代が来るのかな?🙄
自動掃除機
小僧がいない間に、庫裡で大活躍していた自動掃除機。
いやぁ、思ってたより優秀な奴でして…動きにも可愛らしさがあります。
あまりに見つめすぎて、自身の作務を忘れるところでした😅
ただ便利過ぎて楽を覚えた後、作務が苦しくなったらどうしよう…とも思います。
作務
禅宗系の寺院へ行くと作務衣を着て作務に従事する僧侶に会うことがあります。
作務とは清掃や農業や調理などの、あらゆる労務のことを指します。
禅の修行には欠かすことの出来ない大切な修行の一つとされています。
ところが仏教初期の時代には、農作業も掃き掃除も禁止されていたんです。
日本のお寺では、当たり前に見ている光景が、昔は禁止されていたなんて。
以外に思われた方もお見えでしょう。
虫などを殺すことになってしまうかもしれないという理由があって、禁止されていたそうです。
いつから?
インドで生まれた仏教ですが、その頃は様々な場所で生活していたようです。
それが中国へ渡ると定住生活化していきました。
その頃から農作業などの労務が修行として行われるようになったようです。
初めて禅院の集団生活の規律『百丈清規』を定められた唐代の禅僧、百丈懐海禅師は、特に作務を重んじられました。
百丈禅師の師である馬祖道一禅師と同様に、自身も生涯作務に励まれたそうです。
一日不作一日不食
『一日不作一日不食(一日作さざれば一日食らわず)』百丈懐海禅師
有名な禅語ですが、『働かざる者食うべからず』と混同されてしまうことも多いようです。
しかし意味が全く異なり、諺の方は他人に言っている、もしくは言われている言葉です。
百丈禅師は、いつも毎日若い雲水達とともに作務をしていたそうです。
しかも必ず皆より先に出て(率先して)励んでいました。
寺の僧や雲水たちは皆、『これでは申し訳ない』と考え、百丈禅師の道具を隠したそうです。
困った百丈禅師は作務の道具を探しました。
結局探しても見つけられずに、しかも食べることすらも忘れてしまっていました。
この事から一日作さざれば一日食らわずという言葉ができて、世に広まったそうです。
中国の唐代の禅僧。諡は大智禅師。南宗禅中の洪州宗の祖 馬祖道一の法を継ぎました。
掃除のプロ
ほうきは、座る前にその場に虫がいないか、払うための道具だという話があります。
その『ほうき』で悟った方がおられます😲
実際はほうきではなく掃除ですけど😅
掃除で悟りを開いたお釈迦様のお弟子さんは周利槃特(チューダ・パンタカ)です。
釈迦の弟子のなかで、一番頭が悪く愚かだといわれていました。
自分の名前ですら時々忘れてしまったそうです。
どれだけ修行をしても、一向に進まぬ周利槃特。
それを見ていた兄の摩訶槃特も、色々と手助けしますが、とうとう突き放しました。
落ち込んでいる周利槃特に釈迦が渡したものは『ほうき』でした。
「塵を払わん、垢を除かん」と、掃除をしながら唱えなさいと教えられました。
自身の名前すら忘れる周利槃特、仲間に助けられながら唱え続けました。
後に周利槃特は天眼を得たとお経に書かれています。
周利槃特は、忘れることのプロだという方もみえます。
自我すら忘れてしまう特技だったのかもしれません。
小僧も作務の一つ一つに手を抜くことが無いよう頑張ります。
まずは自動掃除機に負けない掃除を身に着けます🤣
小僧合掌
自分のような者には徳がない。
それなのにどうして人さまに働いて頂いてばかりで良いわけがない。