よく靴下に穴が空いていても気が付かない恩林寺の小僧です。
足元はよく見ないといけないなとつくづく感じます。
禅語では『脚下照顧』と言うように、靴を揃えることで心も揃うのです。
同じ足に関する言葉で『破草鞋』というのがあります。
破れた草鞋は役に立ちません。
だって使い物にならないですから。
しかし、その言葉は別の意味も持っています。
草鞋は、その人が歩んできた証です。
つまり、自分が学んできたことや頑張ったこと、大変だったことは見せつけるものではないのです。
破れた草鞋のように平凡に日々のことをこなしていく…そんな意味があります。
僕も学生という期間を過ごしました。
その中で嫌だったことも楽しかった事もありますが、それを禅堂ではどう活かせばいいのか…
破れた草鞋のように人に見られなくても一生懸命頑張っていきたいです。
小僧合掌
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