漢字が好きな恩林寺の小僧です。
先日、尾形先生の作品を拝見いたしました。
その中に「唯今」という文字の作品がありました。
帰省への挨拶と、この刹那、今が大切なんだという思いの両方が込められているそうです。
(間違っていたらごめんなさい)
言葉や漢字ってすごく面白いですよね。
以前、私が聞いたお話にも興味深いものがありましたので、ここでお話しようと思います。
「教」という字
よく使われる「教え」の字は、怖い意味を持っています。
孝という部分は、大人と子供を表す象形文字。
隣のノブンは、「棒を持って打つ」という意味です。
つまり、大人が棒を持って打ちつつ、子供に教育しなさいという意味があるのですね。
今では、虐待や体罰といって騒がれてしまいます。
しかし、本来の教えというのはそのようなものだと私は思います。
悪いことをしたら叱って当然。
現代に反するようなことかもしれませんが、悪さを甘やかしていたら、この世の中はダメになっていくかもしれないと思っています。
他の「ノブン」の字
先ほどのノブンの意味を使うと、他にも解説することができます。
「救」という字
求めている者を棒で打ち、あと少しだと後押ししている様子を救うというのです。
上から大丈夫かと声をかけられるより、隣で一緒に頑張ろうと言ってくれる仲間の方が気持ちが救われる気がしませんか?
手を差し伸べるだけではなく、切磋琢磨の精神がきっと大切なのだと思います。
「改」という字
おのれ自身を棒で打つのです。
やる気が出ない時、私は両頬を手で叩きます。
何かを改めるというのは、簡単なことではありません。
だからこそ、まずは自分の性根を叩き直して、そこから一歩が進めるのだと思います。
ノブンと警策
私は座禅中、よく叩かれました。
ただ座っているだけなので、ついつい眠くなってきて…叩かれて当然ですよね!
臨済録を読んでいると、棒で打つという表現がかなり出てきます。
他の禅宗僧侶の本を読んでいても、よく出てきます。
禅問答では棒で人を叩いてるイメージが…。
しかし、何かを教えるには、その行為が大切なのかもしれません。
痛い思いをしないと分からないことはきっと多いと思います。
私も沢山叩かれて、やっと少しは分かるようになってきました。
(多分ですが…😅)
小僧合掌
私が子供の頃、漢字辞典が大好きでした。
色々な様子を絵にしたものから漢字が生まれる…。
私たちが使う平仮名や片仮名も、漢字から派生しています。
新しい単語や言葉が増えて…時代は常々変化していますね。
変わり続ける現代に置いていかれないよう、私も精進していきたいと思います。
(とはいえ御歳24歳ですが…😅)
また気になった漢字があれば、紹介いたします!