新社会人になった恩林寺の小僧です。
4月3日よりスタートした新生活は、1週間を過ぎました。
想像していたより大変で、家に着いた途端にバタンキュ~😴という日々を送っていました。
入社させて頂いた会社は優しい方ばかり😍
しかし覚えることも多くて、頭がパンクしてしまいそうです😭
身体もキツくて、その中で皆さんはよくやっているなぁと感心しております。
大変なことが続くと、辛い…としか思えないが人間です。
そして辛い時は我慢しなければならない…我慢は嫌なものだと捉える方が多いでしょう。
忍辱
先日から紹介している六波羅密の一つに忍辱があります。
耐え忍ぶことという意味です。
蓮は泥の中で育ちながら、まったく汚れることなく美しい花を咲かせることから、蓮の花が例としてよく使われています。
どのような状況であっても、自身の本質は汚れることがなく清らかで耐え忍んだ先に美しい花が咲いています。
お墓やご仏壇にお花をお供えする際に『どんな状況でも花が咲く姿』を見て忍辱を思い浮かべられてはどうでしょうか?
自身の苦しみに心を乱さず
人は普通に生きているだけでも苦しむ場面に遭います。
人生が思うようになることは殆どありません。
今現在も苦しめられているコロナなどの病気や後遺症に罹患することもあるでしょう。
また職場や学校において対人関係で悩み苦しむこともあると思います。
自身の努力で解決可能
様々な苦しみに対し、自身の努力で解決可能なものであれば、努力をされると思います。
しかしそこに、怒ってしまったり、悲しんでしまったり、心配したり…。
色々な感情が入り混じっていきますが、その時その時で必要なことを行っていきましょう。
自身の努力で解決不可能
自身の努力で解決不可能なものもあるかと思います。
そんな時、どれほど腹立たしくても、怒ってもどうにもなりませんよね。
どうにもならないことに心を乱すと、それが新たな苦しみを生みだします。
自分の現在置かれた状況と冷静に向き合い心を乱さないこと。
これですべてを受け入れる…そうすると進んでいこうという前向きな勇気が生まれてきます。
他人の言動に心を乱さず
忍辱の反対の言葉をご存知でしょうか?
それは『怒』です。
こう聞くと違うんじゃないかと思われてしまいそうです。
一般的には怒りの対義語として用いられるのは寛容や悲嘆ですから。
これほど努力し頑張ったのに感謝されなかった…
この人はやってもらえることを当たり前だと思っているのか…
こうして報われないことに心は乱れ、怒ってしまう事もあるでしょう。
忍辱は我慢するのが目的ではありません。
ただそうすることで、見返りを求めない布施の修行となります。
怒りに身を任せない持戒の修行となります。
他人の言動に一喜一憂することなくあらゆる修行の基礎としましょう。
忍辱行に心を乱さず
忍辱行を極めて成仏したとされる阿閦如来をご存知でしょうか?
西方極楽浄土の阿弥陀様と並んで、東方に住む仏様です。
別名を不動仏、言葉は悪いのですが少々地味というか目立たないというか…。
一般的に五大如来(金剛界五仏)の一人として祀られています。
法華経によると前生は大通智勝如来の十六王子の一人と記されています。
- 中央…大日如来:十三仏の十三回忌導師。
- 東 …阿閦如来:十三仏の七回忌導師。
- 南 …宝生如来:望みをかなえる与願印を結ぶのが特徴。
- 西 …阿弥陀如来:十三仏の三回忌導師。
- 北 …不空成就仏:多くは施無畏印を結び成所作智を授ける仏様。
忍辱波羅蜜
修行は一度出来たら完成するものではありません。
昨日は耐えられたものが、今日は同じ様なことで怒ってしまったり悲しんだり。
一進一退を繰り返しながら進めていくものが修行といいます。
しっかり出来なかった日に否定することなく反省していく。
これが忍辱波羅蜜行だと思います。
忍辱は、単純な我慢ではありません。
あるものをあるがままに、すべてを受け入れ先に進むことです。
そして、これなくして布施波羅蜜・持戒波羅蜜は成立させられません。
一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる…♪
こんなフレーズがある昭和の名曲があるそうです。
水前寺清子さんの三百六十五歩のマーチというらしいです。
“あなたのつけた足跡にゃ 綺麗な花が咲くでしょう”と続くらしいです。
まさに修行の姿と重なりますね。
小僧合掌