どうも、恩林寺の小僧です!
よく自己紹介で「恩林寺の小僧」と言っています。
この寺院名に使われている「恩」という言葉に今回は注目してみたいと思います。
四恩
恩林寺から皆さまへ送る封筒には「四恩」について書かれていると思います。
大乗本生心地観経という経本に四恩が載っており、それらを紹介していきます。
父母の恩
私たちはみんな父母から生まれます。
その父も母も各々の父母から生まれてきます。
自身を産んでくれた、育ててくれた恩は返せない程の大きい恩ではないでしょうか?
衆生の恩
人はみな、土地が無いと生きていけません。
住む場所、働く場所、そもそも足をつける場所が無いと満足に生きていけないのです。
更に、お米などの食物も土地から作られます。
自分を生かしてくれるこの場所に感謝することも大切だと思います。
国王の恩
恩林寺では「国家の恩」としています。
国や制度が無ければ、この世は荒れてしまいます。
統治する者がいるからこそ、私たちは安定した生活が送れるのです。
日本では国家ですが、仏教が生まれたインドでは国王が統治しており、ここから国王に感謝すべきと説いているのです。
三宝の恩
『三宝』とは仏・法・僧の三つを指します。
その三宝に感謝しなさいと説いておられるのです。
仏さまに生かされている私たちは、仏さまに感謝しなければなりません。
正しい道のり(仏法)があるからこそ、日々の生活を正しく生きることができます。
これにも感謝すべきです。
そして、仏さまと皆さまを繋いでくれるのが僧侶であります。
有り難いという気持ちが生まれたら、それも恩になるのではないでしょうか?
『恩』という字
仏教では、恩という漢字をとても大切にしています。
この字は、因の下に心と書きますので、”因を知る心”という意味で使われます。
しかしながら、『恩知らず』などという言葉が浮かんできたりしませんか?
とても身近でありながら、その意味を問われると…。
恩を知る
私が今ここにあるのは、どなたのおかげなのか、何のおかげなのか…
これらをを知るということが、恩を知るということだと思います。
私たちは何かしらの助けで今があるというのに…
そこに無自覚になっていることが多いように思います。
パーリ三蔵には、この恩について説かれている部分があります。
知恩・感恩・報恩
龍樹菩薩は、大智度論でこう説かれています。
恩を知るは大悲の本なり、善業を開く初門なり。
恩を知らざるものは畜生よりも甚だし。
仏教を聞くとき
恩を知ることがまず大事な心がけであり、恩を知ることが、善い行いをする第一歩。
龍樹様のこの教えを我が身に置き換えると、こうなるのではないでしょうか?
恩を知らなければ、恩を感じることもありません。
恩を感じなければ、恩に報いるという気持ちも出ません…と。
恩林寺の小僧として思うこと
現代において「ありがとう」が少なくなってきているように私は思っています。
だからこそ、「お互いさま」「おかげさま」の文化が薄くなってきているのではないでしょうか?
規則や権利ばかりを重視され感謝する気持ちが少ない…
だからこそ、事件や問題が多くなっている気がします。
誰かにして頂いたことに対し、素直にありがとうと言える世の中であれば、争いは減るのではないかと思います。
今度は自分が誰かのためにする番だと思って行動に移せば、良い関係が生まれると思います。
「恩」は受けても返しても暖かいものです。
私も思いやりを持って、これからの行動を見直して精進したいと思います。
小僧合掌
比丘たちよ、善からぬ人の基盤とは何か。
比丘たちよ、善からぬ人は恩を知らず、恩を感じない。
比丘たちよ、恩を知らず、恩を感じないということは、賤しい人々によって賞賛されている。
比丘たちよ、恩を知らないことと恩を感じないことというこれは、専ら善からぬ人の基盤である。
また比丘たちよ、善き人は恩を知り、恩を感じる。
比丘たちよ、恩を知り、恩を感じるということは、気高い人々によって賞賛されている。
比丘たちよ、恩を知ることと恩を感じることというこれは、専ら善き人の基盤である。