よく迷子になる恩林寺の小僧です。
出かけて迷子になり、うろうろ。
やるべき事があり席を立って、忘れてうろうろ。
一つ一つを大切にしていかないと、私の脳みそはついていけないようです😁
よく「うろうろ」すると言いますが、実はこれ、仏教用語であることをご存知でしたか❓
有漏
うろうろの「うろ」を漢字で書くと「有漏」となります。
遊びたい、勉強したくない、寝たい…多くの煩悩を私たちは持っています。
しかし、やりたい事だらけ、やりたくない事だらけでは人生は進んでいきません。
心という小さな器に、やりたい事、やりたくない事だらけを詰め込んだら、どうなるか?
答えは明確、器から漏れてしまいます。
自分の欲望や煩悩が多くある状態を有漏というのです。
サンスクリット語でも、有漏を「サースラヴァ」といい、流れ出るという意味があるそう。
欲望を詰め込んではいけないということですね。
人がうろうろする時のほとんどは、何をしていいか迷う時だと思います。
どの道へ進んだら正解なのか、何をすれば問題が解決できるのか。
その時の心は、かなりの試行錯誤を繰り返しています。
多くの可能性や方法が溢れ出すほど沢山ある状態、だからこそ、有漏有漏するのです。
三有漏
実は他に2つの「漏」があり、これを三有漏といいます。
しかし『阿毘逹磨大毘婆沙論』という経本には、四漏と解説してあります。
これからご紹介するものの他に「見漏」というのが出てきます。
物事を判断する際に出てくる迷いのことを指しています。
欲漏
淫欲や食欲など、生きていくには欠かせない欲望があると思います。
その欲が大きいことを欲漏といいます。
私も食欲旺盛なので、食べ過ぎには注意したいですね。
無明漏
少し難しいですが、無明に存在する欲のことを指します。
無明は漢字で「明らかでは無い」と書きます。
壊れるものも有れば造られるものもある。
無常の世の中であるに関わらず、それに気付けない時があります。
その状態を無明といい、煩悩が出る元だとも言われています。
つまり、煩悩の根源にある欲を指します。
(十二因縁などのお話に繋がるので後日書き記したいと思っています。)
小僧合掌
有漏の反対は、無漏。
つまり、流れ出る煩悩や欲望が無い状態をいいます。
それってつまり、悟りを得た方の姿ではないでしょうか?
うろうろがむろむろ(むらむらではありません🤣)になれならいいですね。
私の想いとして…迷わずに進める人はいません。
たくさん迷子になっていいと思います。
ただ少なくとも、目指したい方向を変えては行けないと思っています。
私も目標を掲げ、精進していきたいと思います。