頭陀袋091 令和2年1月号
雪舟とネズミの話 令和二年は十二支の一番初め、子年に戻ってきました。 子年生まれの方、それぞれ一つの区切りの年、と受け止めておられる方もあるでしょう。さて、時は室町時代、備中赤浜(今の岡山県総社市)の禅寺、宝福寺に一人の...
雪舟とネズミの話 令和二年は十二支の一番初め、子年に戻ってきました。 子年生まれの方、それぞれ一つの区切りの年、と受け止めておられる方もあるでしょう。さて、時は室町時代、備中赤浜(今の岡山県総社市)の禅寺、宝福寺に一人の...
今を気張らにゃ 平成八年三月一日、私は京都黄檗山萬福寺五雲居におりました。この日は宗内の僧侶育成のための春季講習会が実施中。その頃の私は二十数年のサラリーマン生活を続けておりました。勤務先のオーナーは裸一貫から身を起こし...
滅相もない 「滅相もない」と言えば「とんでもない」という意味とほぼ同じで、あるべきことに対し、否定的に使われる言葉です。 また、「滅相もない」と「疎相な」が似たような意味なのは、とんでもないことなのか…。 とにかくここで...
慈眼視衆生 人は物を見るとき、自分の損得のレンズを通して判断する。 そこに働く分別心に気付き、自分でもなんてあさましいと、思ってしまう。 観音経の終わりの部分に、そうした損得のレンズを捨ててすべてのものに慈しみの眼をもっ...
すてきな雲水さん すてきな雲水さんが現れました。 先日、各務ヶ原の清見寺の尼さんから紹介のありました石雲禅寺の尼僧さんが旅の途中、骨山に立ちよりくださいました。 うかがえば名前は佐藤紹稟禅尼様、通称稟さん。 お生まれは三...
開梛(魚梆)と玉鱗のはなし 頭陀袋85号を見た信者さんから「生飯(サバ)台の話、良かったね。と言うより、昔、萬福寺へ行ったことが思い出されてねえ。あの回廊に釣ってある、でかい魚の写真、懐かしかったなあ。あれ、なんていうん...
施食のはじめ あるとき、修行僧が閑静な木の下で座禅をしていました。すると、樹の上に猿が住んでいて、僧が食事をしているのを見て自分も食べたくなり、樹から降りて僧の前までやってきました。僧は猿に残飯を与えると猿は、鉢の底まで...
かんのん様 大乗仏教で親しまれる観音様は私たちにとってどんな仏様でしょうか? 父親の厳しい愛を喩えるのに、お不動さんの愛、お母さんの愛情を示すのに観音様のお慈悲、などといわれることがあります。私たち黄檗宗では朝のお経の第...
貧者の一灯 釈尊が舎衛国にいらっしゃった時、その国に大変貧しくて身寄りのない一人の女性がいました。彼女は、深く釈尊に帰依しておりましたので、国中の人たちがそれぞれの立場において釈尊とその弟子たちに供養をしているのを見て自...
忠言は耳に逆らう 秦の始皇帝の死後、 真っ先に都に入ったのは 後に漢を建国する劉邦でした。競争相手である楚の項羽に先んじたことの喜びと、美女と財宝に囲まれて、すっかり気が緩み有頂天になったのを勇将が戒めるのですが劉邦は勇...