七十歳を迎えられた延宝八年の正月三日、黄檗山の和尚方はお斎を設けて禅師のお誕生日に先だってお祝いをされました。
禅師は皆なの願いをききいれられ法堂に上り「寿生」の二字を主題にして説法されました。
十五日、冬の修行期が無事終りますと、太鼓を打って一同を集め、黄檗山住持辞退の説法をされ、紫雲院に隠退されました。
最初黄檗山の住持は三年を限って輪番制でありましたが、隠元老和尚は寛文五年幕府に申し上げ、輪番制を取り止め、木庵禅師の独住とされました。
それにしても十七年間という前後に比を見ない住持としてのご日常は筆舌に盡せないものがありました。
黄檗山の伽藍を整備され、黄檗の禅風が全国を風靡し、禅師の傘下からすぐれた禅僧が輩出して東に、近畿に、九州にそれぞれ活躍したのは木庵禅師がいかに優れた禅匠であったかを物語っております。
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