この年の八月二十三日、禅堂が建ちました。
たまたま即非和尚がこの日黄檗山に登って来られましたので、冬の修行期には木庵禅師と即非和尚が東西両堂の首座として五百人近くの修行僧の指導にあたられました。
また、十二月には老和尚による三壇戒の授戒会が催され、禅師は羯磨阿闍梨の役を勤められました。
寛文四年九月、隠元老和尚は松隠堂へ隠退され、木庵禅師に黄檗山第二代住持の席を継がせられました。
禅師が祝国開堂の式を挙げて住持となられました時、法弟の即非和尚が白槌師となって式を進められましたが、その規則や法会が厳かに行なわれて、その見事なことといったら、まるですべてがすっかり新しくなったように感じられ、列席した僧俗の人たちは新しく開かれた黄檗の禅風に感激しました。
式が終りますと即非和尚は長崎へ帰られました。
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